こんばんは、天野隆征です。
ここでは、何年かぶりに観た「天空の城ラピュタ」を振り返って、
今まで気がつかなかったいくつかの視点について書こうと思います。
はじめに断っておきますと、
私は宮崎駿監督のインタビューを見た訳でも、この映画に関する評論や資料の類を見た訳でもないので、本当にそうなのか、そういう意図があったのかを追究するものではありません。
あくまでもこの作品の「良さ」について自分なりに分析することで、自分の小説に応用できそうな要素を見つけ出そうとしているだけであって、真実を探求するのではなく「自分が何を思ったのか」を記録に残す目的で、このブログは書いています。
(本当は真実を探求したい気持ちが無い訳ではないのですが、それは監督ご本人にお伺いするか、さもなくば膨大な過去の資料や記録を掘り漁って、ようやくその片鱗をつかめるくらいであって、いずれも現実的ではないため、ひとまず脇に置いておこうと。。)
さて、前置きが長くなりました。
この作品の魅力を短く言い表すなら、それは「矛盾と均衡」だと思いました。
前のブログでは「二項対立」と表現しましたが、対立という言い方はあまり相応しくありませんでしたね。
思い返すと、「風の谷のナウシカ」はまさしく二項対立と言えると思います。
蟲と人間、自然と文明、平和と武力などの二項「対立」が明確に存在していて、しかも宮崎駿監督なりの「善悪」とでも言うべき価値観が比較的明確に表現されています。
ではラピュタはどうかと言うと、二項「対立」ではなく、
二つの側面が非常に危ういバランスで同居している、ともすると矛盾としか言いようのないものや価値観が、絶妙な均衡点で交じり合っている、そんな印象です。
言うなればアンビバレントな状態。
「均衡」と書きましたが、実は均衡している訳ではなく、尋常でないエネルギーと技術力によって、辛うじて空中分解せずに作品としての形を保っている、ということなのかもしれません。
それくらいに、実はかなり危ういバランスで成り立っている作品なんじゃないか。そんなことを思いました。
なんだか非常に抽象的な書きぶりになってしまいましたが、
次回、具体的に掘り下げていきたいと思います。