こんばんは、天野隆征です。
今回は真面目に、小説の話です。
只今、新人賞へのエントリー作品として短編を二本仕上げています。
これがとても面白いので、ここに書き残しておきたいと思います。
何が面白いのかと言うと、実はストーリーではなく(いや、ストーリーも面白いのですが)
二本のありよう、言うなれば異形の双生児とでもいうような、数奇なあり方についてです。
この二本、タイトルはそれぞれ、
『○○〇・ワールド』『ニューロ・○○〇○○は○○○○』といいます。
(全然わからないですね)
主題は二本とも「現実への疑念」、具体的には
「日々目にして、体感している現実とは本当の『現実』ではないけど、そのことに(本当の意味で)気がついたとき、人はどうなっちゃうんだろうね?」
ということにあります。
いや、実は最初は、二本ともそれぞれ全く違う主題を追っていたのですが、
あるタイミングで、「あ、これは『現実への疑念』というテーマを、別のアプローチで追っているんだ」ということに気づき、その瞬間シナプスが繋がったというか、合点がいったのです。
この二本はストーリーも作風も全く異なります。
一本は過去の外国(アメリカ)を舞台に、幻想的なレトリックを取り入れながらミステリアスなオーラをまとった作品で、もう一本は現代の日本のすぐ延長線上に位置しそうな将来を舞台とした、等身大であか抜けない、シュールな匂いを放つ作品です。
キャラクターの性格も異なれば、文体や視点も違う(前者は三人称、後者は「俺」の一人称)。
想起される色や風景も全然違いますし、作品の意図や読後感も全くの別物です。
なのに、フタを開けてみると、実は大上段のところで共通の主題を追っていた。
自分の中の無意識に出会った瞬間です。
これを面白いと言わずして、何を面白いと言いましょう。
小説はフィクションではありますが、結局のところ作者の内面をそのまま映し出す鏡なんですよね。
その意味で、ノンフィクションと言っても差し支えない代物。
そのことに、言うなればかっこよく気がついた体験です。
…実はそういった「小説の正体」については、もっとコッパズカシイ気づきもあるのですが、それはまたの機会に。