私がカフェ開業を決意したのは家族がいたからでした。 | カラダに優しくなりたいあなたに贈る81のライフスタイル

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☆私がカフェ開業を決意したのは家族がいたからでした。☆


こんばんは、仙台でマクロビカフェ開業準備中の晃満(こうみ)ですクローバー


さて、今夜は真面目なお話です。


なぜ、私が“仙台でマクロビカフェを開業”を決意したのか・・・です。

(少し長い記事なります。スルーしてくださっても構いません。)


昔からカフェが好きだった・・・カフェを喫茶店と呼んでいた時代から・・・。


というだけではありません。


始まりは5年前。


父のガン発病がきっかけでした。


私の父は、血の繋がりはありません。


思春期の頃に母と再婚したので、世間の優しい“パパ”とのギャップに非常に苦しみ、なかなか受け入れられない時期を過ごしました。

「嫌いだ!この人は父親ではない!」と心の中で叫び続けていた時もありました。


しかし、父はガンになり、私たち母娘は治療を支えなくてはならない事態になりました。


このことが、私たちをそれまで以上に“家族”として結び付けることになりました。


父は、ガンの手術こそ受けましたが、抗がん剤治療は2~3か月で中断し、東京で『自律神経免疫療法』という代替療法を受けています。


それは、自己免疫力を高め、ガンを抑えこもうという治療です。


と同時に、食事療法が始まったのです。


端的にいえば、肉・卵・乳製品は摂らないという食事になりました。

(もうちょっと厳密な制限もあります)


父は、無類の外食好きでした。

給料日に外食を断ると、機嫌が悪くなり、手がつけられないほどです。


でも、外食先では調味料に何を使っているかまではわかりません。

自宅で、安心な材料で食事を作るしかなかったんです。


そこから、私の勉強が始まりました。

独学でマクロビオティックのことを勉強したり、野菜を美味しく料理するという本やレシピを漁り、調理したり・・・。

そして、ガンのことも勉強しました。


父がガンになり、食事療法が始まった頃、家族で「食事療法の人にも気軽に入ってもらえるお店やろうか?」と何度も話題にのぼりました。

父は比較的料理がうまかったのです。

ですが、父はもう年だからと本気にはしませんでしたダウン


しかし、その頃から私の心の中に、「開業してみようか?」という熱い思いがフツフツと湧いてきていたのでした。


私は、父のガンの記録を付けようと、4年半ほど別なブログを書いています。

(最近はアメブロの更新がメインで、別ブログは月1更新程度ですが・・・)


その別ブログでは、多くのガン患者さん達とブログを通じてお友達になりました。

そして、少なからず悲しい別れを経験してきました。


中には、食事療法を試みていた方が、亡くなる間際には夜中に家族の目を盗んで冷蔵庫の肉やお菓子を貪っていた・・・という、胸が張り裂けそうな記事を目にすることもありました。

今思い出しても、涙があふれる光景です。


●健康な人も病気の人も一緒に、心置きなく「美味しい!」と思えるものを食べられる場所が欲しい!


●好きなものが食べられないストレスで、うつ状態になるようでは、治療に逆効果!


そう考えるたびに、「心も体も喜ぶお店をオープンしよう!!」という思いが膨らんでいったのでした。


カフェを選んだのは、それこそカフェが好きだったことと、精神的に落ち着けるゆったりした空間を提供したいという2つがポイントでした。


そして、2011年3月11日。


東日本大震災が日本を襲いました。


この地震を経験しても、生かされている私がいる。


それなら、残りの人生は悔いなく生きていきたい!!


そんな気持ちになったんです。


当初は、資金面もあり、42歳で開業できたらいいなニコニコ

と、気長に考えていましたが、行動を起こしてみたら、気持ちが加速し始めました。


今の目標は『42歳で、経営しているカフェが安泰している!』に変っています。


この熱い思いを胸に、今日も新たなる行動がスタートします。

(詳しくは、別記事に書きますね)


37歳の誕生日の今日・・・。


私をここまで生かしてくれている家族に感謝です。

生んでくれて、育ててくれてありがとう。


家族へ恩返しできるように、努力を続けたいと思います。


最後に、ここまでの長文を読んで頂いたみなさまに感謝です。

ありがとうございますアップ