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高をくくる

 

自分は時折男性ホルモンが多すぎるのではないかなと思うことがある。

競争心にそれが顕著に現れているし、

幼少期の行動にもそれが表れていた。

きっかけは分からないが、それでも人よりは

飢えを感じてならないタイプだと最近自覚しはじめた。

 

誰かに勝ちたいし、誰かに負けたくない。

自分の所有物を盗られるとイライラしてならない。

邪魔なものは排除したい、自分だけの世界を作りたい。

目的のために必要なものは何でも利用したい。

 

そんな想いを僕の中の男性的な部分が引き起こしているのだとしたら

なんだろう、僕は、もう少しでいい、女性的になりたい

気がした

 

僕を「砂漠」だと例えた人が居た。

常に枯渇しているように見えると。

褒め言葉として捉えることも出来うるし、

もしかしたらそれは、何か1つを大切に出来ない状態を揶揄されているだけなのかもしれなかった。

   

 

電車に乗っていると様々な人が居る。

子供から大人まで様々な人が居る。

僕はそのうちの1人だった。

 

流石に大学に入ってから電車の乗り方を覚えて

今では普段使う路線くらいは簡単に乗れるようになった。

そんな中ではやはりいくつかトラブルにも遭遇してきた。

 

喧嘩や、過呼吸、2日酔い、体調不良(自分)……

話しかけられることだってあった。

 

先日電車に乗ったいたとき、僕はイヤホンをつけていた。

イヤホンをつけていたが、前の男から発される言葉はイヤホンをもろともせず

僕の頭に響いてきた。

 

「雌豚が雌豚が禁煙しろ禁煙しろってうるさいだもう我慢なんかしない我慢なんて体に悪いうるさい」

 

リピートされる言葉はきっと自分だけではなく

周りの人間の耳にも届いていただろう。

早口でまくしたてられるような言い方から僕は想像した。

男の顔はわからなかったが、きっと歪で濁った顔をしているのだろう。

精神は外見を左右する。

どうして、そういう思いになったのだろう。

 

そういう自分だって全然いい外見を持っていない。

信じたくはないが、最近写真を見ていると頭身のバランスやら何やらが

気持ち悪く感じることが多い。

 

なんなんだろうか。

こんな人間だったっけ。

普段は主観だから自分の振る舞い方というのは滅多に見る機会がない。

僕は撮影係だ。

自分のことはほっといてもいいのかな。

外見ってどうしたらいいんだろう。

 

自分が代表だった頃、

2個下の後輩たちに対してはある種特別な感情を持って接していた。

 

自分が1回生のとき、代表に憧れたように

自分が代表である姿を何の偏見なしに見る彼らがどう振る舞っていくか

どんな人格なのかを見たかったからだ。

 

彼らは才能の粒を見せてくれた。

そして代表である自分をあの人々は慕ってくれた。

ある後輩は代表を降りて、落ちぶれたような僕をも慕ってくれた。

 

その想いはどういう感情か、正直分からなかったけれど、

直接的な感情を、直接的な言葉でぶつけてくれるその後輩に対しては

ある種特別目をかけていた。

勿論素の自分ではなく、団体の中に居る自分としてだが、

7割はその自分でできているのだから。

 

自分の弱い部分を丸写ししたかのように脆い後輩だった。

無言になってしまうところも、不器用なところも、

強者には手を出せず、弱者には強くでられるところも、

同族嫌悪ではなく、同族だからこそその手助けをしたかった。

 

頑張って、と言えば潰れるだろうか。

無理しなくていい、と言えば怠慢になるだろうか。

後輩は異常になれるだろうか。

 

卑屈な性格と、足りない実力。

もし周りから認められることさえあればきっと輝けるはずだと、

しかし、彼女の良い部分を見つけ出せる人が居なければ厄介者で終わってしまうことも

僕には分かっていた。

 

でも、もうすぐ僕は卒業してしまう。

どうしたらいいんだろう。どうしたらいいんだろうな。

 

手話に対して関わる内に

段々と団体を運営することについて関わり始めて

そうして色んなことを磨かざるを得なくなった。

 

能力は伸びた。

しかしずっとそれを狭い領域でしか使ってこなかった。

一部の授業でのグループワークや、初めて入る企画グループ、

そういった場所に居るともっといろんなことに関わって

色んなことを上手くやり遂げるための手助けを出来たのではないのだろうかと思ってしまう。

 

四回生という年代になったからか。

最近一際、「助けたい」「役に立ちたい」と思うようになった。

 

所属するコミュニティで自分を肯定したいんだろう。

きっと善人じゃない自分がより輪郭を帯びてくるのが嫌だ。

これは偽善じゃない。偽善ですらない。欲求に近い。

僕はこんな自分を嫌ながらも肯定した。

 

よく似た部分を持つ後輩はこんな気持ちをずっと肯定していないように見える。

彼女は大丈夫なのだろうか。

 

 

   

手話通訳で高校に行った。

通訳対象の生徒は遂に三年生になった。

僕は四年生になった。

 

彼が一年生の時から手話通訳が団体内で始まり、

間もなく卒業式という行事をもってこの通訳事業も終わりを迎える。

三年あれば人は変わる。彼も変わった。僕も変わっただろうか。

変われたのだろうか、と目の前の人間を通して思う。

 

通訳ペアの後輩は耳と鼻が敏感だった。

タバコの煙に弱く、音に耳を傷つける。

見ていて痛そうだった。そんな彼女に僕は何もしてあげられない。

人は人を助けるにもそれ相応の関係が必要だと思う。

「無償の愛」はないし「無償の親切」も現代では中々信じられないものだろう。

性別に関わらず、助けるのにだって、気遣うのだって

距離を違えば人を傷つけてしまうかもしれないし、傷つけられてしまうかもしれない。

助けさせてほしかった。

 

通訳が終わった。

高校行事に来られるのもこうした通訳行事のおかげだ。

珍しい体験が出来てありがたい。

ホールに立っていると教頭先生が僕を怪しんで身元確認をしてきた。

結構適当に扱われている手話通訳。

なにか身元を示すようなものがないと場が混乱してしまうのではないだろうか。

 

通訳が終わって部室にきた。

風邪にも関わらず何故僕はこの場所に囚われているのだろうか。

心とスケジュール帳の寂しさからか。

 

後輩の心遣いから、次期幹部会に参加した。

まぁ、半数しか集まっていなかったからだと思うが。

 

風邪は治っていなかったが、いい気持ちだった。

1日が終わった。

 


連絡が来ない。どうやら、また、アルバイトに落ちてしまったらしい。好条件だから人がかなり集まっているのだろうか。

漏れてしまう自分は、恐らく誰でもいい、という枠にしか入ることができない。

「あなただからやって欲しい」

という個人を特定した何かを、ずっと待っている気がする。

風邪はなおらない。

少し食べただけで、気管いっぱいに何かがつまっているような、嫌な満腹感に襲われることがある。

お腹が避けるように痛み、体を重くするダルさに襲われることがある。

何なんだろう。
かと思えば、食べても食べても、なにも感じていないときもある。

今は苦しい。

だから僕は食べない。
食べられない。

体調を崩してからもう随分たつ。
もとはといえば、カメラを失ったストレスからきたものだった。
今なおそれはあとをひいている。

頭がいたい。
喉がいたい。

心の一部だったようなサークル活動から、少し離れている。今日も行かないつもりだ。

ずっと体調が芳しくない原因は、精神的なものなのだと分かっている。理想の自分になりたいはずなのに、そのための苦痛と努力と忍耐に手が伸びない。

楽がしたいのか。
こんな自分を認めてくれる何かが、本当にあるのだろうか。何をどう判断しているのだろうか。仕方ない。世の中積み重ねなのだから。

   

 

どうやら風邪を引いてしまったらしい。

 

加えて遠くの駅にいったり、

部室の掃除をしたり、

梅田を歩いたりと、

動き回っていた1日だった。

 

頭も痛くなってきた。

やばい。

物凄い、恐らく物凄い妙な夢を見て

うなされて目を覚ました。

時間は午前5時。

寝たのは午前1時、まだまだ大丈夫な範囲。

目覚まし時計はやはり意味をなさなかった。

 

今日が最後という実感はまるで無かったけれど

朝の空気が清々しかったことは覚えている。

天候もかなりさっぱりとしている。

悪天候もなく、後輩達も胸をなでおろしているのだろう。

 

大学へ向かう途中に先日の欠点を埋めるための動画編集を施す。

そのおかげで電車コンビニ大学までの道中、

僕はずっと右手にPCを抱えるハメになってしまった。

動画編集を終えて、発表用のPCに入れた。

 

本番は欠席のはずのメンバーが来れるようになったので

急遽今まで練習していた8人態勢から9人態勢へとシフトすることになった。

本番前1時間。

この急激な変更にどうやって対応できるだろう。

少しばかり頭を悩ませた。

 

しかしながら、発表自体は上手くいった。

惜しむらくは、録画の撮影に失敗していたことだろう。

人生最後の発表は記録媒体に残ることはなかった。

最後の単語を表す瞬間、少しだけこみ上げるものが、自分の中にはあった。

 

発表を終えた。

体は熱かった。1回生から始めた僕のパフォーマンスは

一体どう成長していったのだろうか。

 

もうこれで終わりだ。

終わりにしよう。

 

発表が終わり、備品の返却も終わった。

僕は学園祭で人が賑わっていないはずれで落ち着いていた。

感傷に浸りたい気持ちだった。

こんなとき誰か居てくれたら良かったろうに。いや、そんなこともないか。