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高をくくる



就職活動が終わっていく周りと、全てをかけて挑んだ上で、失敗してしまった自分。

自業自得とはいえ、全くなんてことをしてしまったのか。

このまま終わらなかったら………。
などと考えたりするが、そんなことを考えてもいられない。
ゼミも、団体も、待ってはくれないのだから。

でも、せめて、心を補うなにかがほしい。

 

 

「3つ下の後輩も、後輩と思えるんですか?」

 

昔そんなことを先輩に聞いた。

流石にそこまで離れていれば

無理なんじゃないかなぁと思ったから。

 

今年入った1回生達はとても頑張っているように見える。

どんどんと吸収しようという姿勢もある。

語学としての手話を。

さて、これに対して上回生達がどう対応していくかが問題だ。後輩扱いを自分の中でいつか出来たらいい。

 

最近学食を食べることが少しだけ楽しみになっていた。

全てのメニューを食べてみたい。

お金さえあれば、胃袋さえ保てば、食べた後不調にならなければ。

 

そういえばゼミの卒論が3週間も止まったままだった。

ああ、処理しなければならない。

今の精神状態はあんまりよくはなかったが、頑張らなければならない。

時間的に余裕がない人と、精神的に余裕がない人では

どちらが快適に物事を処理できるんだろうか。

   

 

4回生になってからというもの、

自分の団体に直接関わるという権利を失い、

何度も何度も後輩達への遺憾をつのらせた。

 

この日もそうだった。

我慢できない、一言言ってやろうか、むしろこっちから消えてやろうか

そんな気持ちが溢れては抑えつける。

繰り返し。

 

辞めてやる、やっぱり失いたくない。

この2つが揺れる。

 

とにかく悲しかった。

そんなことにも慣れてしまうのが1番悲しかった。

嫌だった。

 

1番嫌なのは変かも受け入れられない自分自身。

所詮学生の活動。それでいいじゃないか。

つまらない自分の思いを他の人間に押し付けるなよ。

そう考えるのが常識なんだと思う。

 

自分の大切だった人に対しても

友達に対しても

団体のことに関しては、僕は攻撃的になれた。

譲らない・譲りたくない。

そんなことを認めるくらいなら関係を切っても構わない。

それぐらいの強い思い。

一体何のメリットがあるというのか。

自分でも謎である。

 

元々福祉にはなぜか興味がなかった。

しかし、僕の周りには福祉業界に関わっている社会人や

福祉業界に関わろうとしている学生が大量に居た。

 

だからこの日、参加特典3000円とあいまって

僕は福祉合同説明会に参加した。

 

福祉業界は人がどうやら足りないらしい。

それでも人は老いるし、障害があって生活がしづらい人も居る。

老いた人の介護。

いつか僕も老いて介護される側になるのか?

そう考えるとなんだか複雑である。

人間は今のところ安楽死というか、自死は認められていない。

 

だが、老衰でいくというのも中々難しいと思えた。

僕が生まれた瞬間は老いてなおお金を稼いでいた祖母も

今では要介護度最高ランクとなって介護されているのだ。

 

若い時分、ロマンチックにスッと消えてみたくもなる。

どんな人間でも介護される側になってしまうと考えれば

絶望的である。

生と死といえば聞こえはいいが

生と介護と死と聞くと、

一気に現実感が出てきてあんまり良くは聞こえない。

 

福祉業界はどうやら自分には難しいような気がした。

しかし、必要な業界であることは確かだった。

   

 

この日したことといえば会議だった。

なにか別の用事があったような気がしたが、

別段記憶に残っていないので大切な用事ではなかったのだろう。

 

午後3時から会議。

午後8時まで会議。

 

約5時間。

 

やはり僕の集中力は続かなかった。

進行として資料を用意していたものを会議しきり、

更に先へ先へと進行を続けていったものの、

流石にぶち当たるのが集中力の壁である。

 

約5時間も会議をスムーズに進行させられるほど

僕の能力は進化していなかった。

 

会議だけで終わる1日。

会議は人と会えるだけ寂しくない。

この団体に残っていなかったら、どうなっていたのか。

寂しさは爆発したか、就職活動の中でも引きこもらずになんとか

自分を保っていられるのはこの団体の代表でいられたからだろうか。

  

この日は自分の大学のサークルが主催する最後の

交流会イベントの実施日だった。

 

3年前、2014年の6月、僕を含めた同級生達は

この交流会イベントに参加し、初めての経験を得た。

手話が伝わらない経験も、飲み会に参加して途中で帰ったのも

初めての経験だった。それが僕にとっての原点だった。このイベントがすべての原点だった。

 

そんな瞬間から時は流れて2017年。

僕は4回生になっていた。

 

正直この日のことを全て受け入れられたかといえば

そうではないのであるが

とりあえず、みんなが頑張ってきたことを

僕の言動で無為にする訳にもいかなかったのだろう。

 

僕はアンケートを書き綴るわけでもなく、提出した。

終わりはあっけのないものだった。

去年度自分が頑張って、それで終わりでいいじゃないか。

そう思った。

去年度僕がしたことは如何にロマンチックに

如何に壮大に終わらせるかという自己演出に過ぎないと気付いた。

 

なるほど。

僕は自演で自分の人生を彩っていたのであろう。

自己満足甚だしい。


この日は「スクーリング」というものに協力を依頼されたので、とある大学にいってきた。

通信教育を受けている人達が、土日に実際に学校に来て授業を受けるようである。

時間は四時間。
長い。

大阪の終点から、京都まで電車で行き、そこから山を登ってようやくたどり着いた。
携帯の地図アプリは訳の分からない方向を示し、たどり着かないものかと思われたが、なんとかたどり着いたのだ。
所要時間は3時間ほどだった。

大学のなかはなんだかオシャレで、大きくはないが好感を持った。
食堂でパンとゼリーを食べる。  

この日の僕の協力内容は手話通訳である。正直言うと手話通訳自体の経験は浅く、それほど得意なわけでもなかった。

そもそも手話の技法も勿論だが、先生の話を理解し、租借し、手話に変換する必要がある。
つまり、普通に授業を聞くよりもかなり難しいのだ。

3人交代制で行った。
かなり歴が上の方もいらっしゃつたので、教えてもらう。
やはり教えてもらうとは良いことである。
むしろもっと厳しく細かく指摘してくれと言いたいくらいだった。

夕方。
通訳を終えると、なんだか見知った手話サークルのある場所を通りかかったので立ち寄ることにした。
結局時間は9時になってしまい、僕が家に帰ったのは10時30分過ぎのことである。

今日は京都。
明日は兵庫である。

就職活動さえ終わっていれば楽しい毎日なのだが………。


今や自分が団体の代表であることが、
唯一の支えだった。
自分の中に「代表としての責任をおっている強い自分」と「無能で弱い自分」が解離しているのが何となく分かっていた。

団体に属することでしか人と関わる機会がない僕は、相当淋しい人間なのかもしなれない。

この日も会議を進行して帰った。
昔は途中で寝てしまうほど精神を疲弊していたが、慣れたものである。

翌日は早かった。

 

就職活動②の記事からまた1ヶ月経過した。

就職活動は続けていたものの、結果的に見れば状況は何一つ変わっていなかった。

最終選考まで通過しようと、そこで落ちてしまえば、説明会に行かなかったのと殆ど同じようなものである。

 

受かりたい、受かりたいと臨んだ第一志望は

残念ながらいつも通りのお祈りメールとなってしまった。

向いていなかったのだろうか。

僕には。

 

これからどうする。

人生の選択をする就職活動。

確かにそんな簡単に終わらせていいはずがない。

しかし……

僕は続けられるだろうか。

もう1度、最初からやり直した方が良いのかもしれない。


大学のある日は安心する。
やることがある日は安心する。

取り敢えず授業を受けたあと、ご飯と味噌汁を食べた。160円。

僕の体は細い。
細くなってきているような気もする。
なので心配して食べてみた。

食べれば肌は荒れるのだが、食べなければ痩せ細っていく。闇循環。

話すことは安心する。
誰かと自分の知らない話をしたい。
それができなければ、自分は居なくても全く問題のない人間なのだと、思ってしまう。

「友達って減るの?」

そう聞かれた。
減らないと信じたい。
でも………。