政界も戦国時代に突入の様相を呈していますが、全ての結果がでるまえに、今回の参議院選挙で感じたことを記したいと思います。
今回の選挙戦は、改めて保守という言葉について考えるきっかけとなりました。
昨今、「保守」という言葉が本来の意味とは遠くかけ離れたかたちで使われる場面が多く見受けられるようになりました。これは大変憂慮すべきことだと感じています。
社会を形成していく上で、科学的根拠や合理的な判断に基づくことは当然大事なことだけど、それだけでは世の中うまいことまわっていかないよね、だって私たち人間自身が完璧な存在じゃないから。だから、これまで長い歴史の中で培われてきた知恵や慣習、伝統を大事にして社会を安定させていきましょう、というのが保守の考え方であり、そういう意味で言えば私は保守の立場をとります。
近年、対立や分断を煽るような言説が目立ちますが、本来、保守とは「変化を否定すること」でも「自分と違う意見を排除すること」でもありません。
むしろ、多様な考え方を受け入れ、意見の違いの中からどうにか折り合いをつけていこうとするのが保守の考え方です。
「敵をつくって攻撃する」「違う意見を一切認めない」といった姿勢は、社会の不安や怒りをうまく利用して人気を集めようとする、一種の政治的パフォーマンスと言わざるを得ません。こうした姿勢は対立を深め、社会のつながりを壊してしまう危険があります。
本当の保守とは、もっとおだやかで、寛容で、謙虚に他人の声に耳を傾ける姿勢のことを指します。そして、そうした保守のあり方が今こそ必要なのではないかと感じます。
社会は、正解のない問題や、立場によって意見が分かれることだらけです。そのなかで、すぐに答えを出そうとせず、粘り強く話し合いながらバランスを取っていく。そんな姿勢こそが、これからの時代に求められる「保守」なのではないでしょうか。
少なくとも高槻市議会ではそうあってほしいと願うばかりです。
