たかとんの泉@reloaded -2ページ目

返信文。それでも星は歌う。

『私』は『君』からの手紙をじっくり読んだ。
一文を読むだけで、『君』が誰なのか理解出来た。
発信先の無い手紙は良く受け取るが、個性的な考えに捕らわれている人というのは、その個性を抑えきれていない状態をどこかに、確実に、表だって見せてしまうものだから。私のような敏感な人間は手紙の肌触りで分かる事もある。

でも、『君』だと確信は持てなかった点もいくつかあった。
たぶん、『私』の知らない何か、が具体的にあるのだろうと思う。

もし返信が『君宛』、で無かったとしたら先にお詫びをしておく。
ただ、『私』が人を間違う事は稀な事ではあるので、これで良いと思う。

文章の内容だが・・、

具体的な内容に触れずに書かれている文章だった上に、かなり難解な内容を想起させられるものでもあって、実際に自分が体験した人生をなぞったりして、少し返事に時間がかかった。

ただ、君が『時の矢』の事にこだわっているのなら、色々知っている事だろう。熱力学の第二法則とか、宇宙物理学とか、素粒子の話とか、相対性理論とか、それこそうんざりと言うほど自分で調べたり考えたりして、結果的には、現実世界に生きる人間の限界がそこにある事を知るだけになり、絶望した事だろう。

その通り。
虚しい程に、現実とは、混沌から秩序ある状態に戻らない事も、頭では理解出来ているのに、相談しようものなら、そんな話をこれまでも幾度となく聞かされては、「だからそれで、何か解決するのか?」と、半ば諦めたり、失望したりしていたのではないだろうか?
概ねそこまで説明する人は稀かも知れない。基本的には適当に言う人が殆どだろうと思うが。


でも、『君』の体験とは、実際に知識を幾ら取り入れても、何も解決しないのだから、当然である。
これは、個人的な問題であっても、他人の事であっても、万人に共通する問題であり、誰が悪くて、誰が正しいとかは関係無くて、

結局の所
『私と君』、『僕ら私達』は、その時から、その瞬間から、『過去』を体験する羽目になる。

『私』がまだ若かった頃。高校で唯一信頼出来て、尊敬出来る「師」と呼ぶ先生に出会った。
大げさに聞こえるかもしれないが、『私』の人生はそこで変わったのかもしれない。
『私』にとっては、そのほかの事象が、いかにも子供らしくて、馬鹿らしく思える程、その先生から吸収出来る知性と感性みたいなものが、それこそ星が降る程無数にあって、それを一つ一つ捕まえるような時間が流れていた。
そんな訳で、私は、一向に「師」の話に飽きることは無かった。

その先生こそ、『君』が追体験した事を凝縮した一文にして述べていた。
ただ、ここでその一文を書くことはしない。
以前に『君』に話した事があるし、覚えていなくても覚えていても、ここでそれを『君』に言う事は、確実に『君』を追い詰めるだけだと思うので・・。

その「師」が自死した時に、『私』は悟った。
そこから離れる事しかないんだと。

それから、『私』は師の生きる意味について、再考して、自分なりにアレンジして、人生をやり過ごすようになった。

『君』には師が亡くなった理由を、自死とは言わなかったと思う。
たぶん病死とか適当に言ったはずだ。

既に『君』に適当に話している時点で、自分は師から離れて、やり過ごす術を持つようになっていたのだと思う。

『私』は悩んだ時、よく「師」に相談した。
些細な事から、深刻な事や、他人に起きた不条理な出来事について。

師はいつも真剣に聞いて、決して言葉を遮ることもなく、『私』が全て話し終わるまでじっくり聞いてから、しばらく5分くらいは黙って目を閉じて、それから一呼吸をおいて、ゆっくりと師なりの考えを話してくれた。

しかし、若かった『私』には師の言う事の意味は深すぎて、実際にその場では分からない事も多かったが、不思議な事に、人生経験を積んでいく度に師の言った意味がわかるようになった。
それは師が生きていた時間よりも後になってからの方が、より鮮明にその事が分かった。
と言うより、正確に言えば、単に師が亡くなってからの人生の方が、今ではもうすっかり長くなっていて、それこそ耐えられないような人生の長さから、無意味な経験値を強制的に積まされてしまって、余計にそう感じるのかも知れない。

もしかしたら、余計な経験値や知識が、かえって人を重くしてしまうのかも知れない。

『君』が具体的に書いているのは、主に流れ星の描写だが、言いたい事が分かる上に、何か妙な懐かしさと、寂しさと、感情に言い表せない複雑な気持ちになる。
真っ先に思う事は師の事であるからかも知れないが、実際に『君』の内省的な感情が『私』の中で何かを感じさせてしまい、融合しているのだろう。

哲学や心理学、芸術などには、それらの感情を落ち着かせる効果はある。
『私達』がそれらに通じているのはそこにひかれる何かがあるからだろう。

それと、多くの感受性を身につけている『私達』のような種族は、凡庸さではない深さを優先的に捉える傾向が強い。
もしくは、凡庸さを先に排除して、本質を感じて考える習性がある。
それは実際に、他の誰かにはない特性と傾向であって、それ故に、『私達』はいつも早々と人に話すのを諦めてしまう。

問題は、諦める事は、前進を意味しない事だ。
結局、他の何かの答えや慰めを探す事にはなる。
ただ、諦めるという無意味な行為は、試さなくてもずっと心に痛みが残るものであって、それが僅かな傷でも、蓄積されていき、次第に大きくなってしまい、気がついた時には、突然ぷっつりと、神経が切れてしまうようになってしまって、全身から崩れ落ちるようになる。
このような事はこれまでもお互いに繰り返された事でもある。

その意味では、『私達も、師も、哲学も、文学も、芸術も心理学も、科学』も、『何をもっても』、決して抗えないものに、この「極められた煩悩の本質」があるのではないか?と考えてしまい、いつしか、そこに挑もうとしてしまう。

これが正しい、正常な反応なのだけど、極めて危険な反応でもある。
絶対に抗えないのだから、時間が総体的であろうがなかろうが、『私』は星も月も見えないし、『君』も流れ星を見ることはもうないだろう。

実際に天文学者になって、観察者として星を見る人になる事は出来ても、『君だけ』は流れ星を見ることは出来ないし、
『私』に見る力が仮にあったとしても、きっと星も月も見えないのではないだろうか?

ここでもう一つの視点を『君』に提示出来るとすれば、『君』を観察している更なる客観的視点の『君』がいたとしたら、今の『君』に何を話すのか?という点だ。

二重スリット実験やシュレディンガーの猫を観察している人を観察してる人がいた場合どうなるか。
これは既に思考実験であるので、その話をしているのではなく、
単に『君』を『君』が観察した場合にどうなるのか?という視点を、「極めて個人的な問題」として落とし込んでみると、どうなるのだろうか?

『君』の答えが知りたい。答えられないという答えでも良いし、何か分かればまた手紙をくれれば、一言一句間違わないように、身内のものに読んでもらってから、自分で文章をなぞって読んでみる。

或いは『君』からの返事がもうないかも知れないが・・。

でも、きっと星は流れなくても、『君』の基で『星が歌う事はできる』のではないだろうか?
ただ、『私』はそう信じたい。

内省的随想文「無情の時の矢の星」

 「僕」が生まれてきてから、あーだこーだ思いながら悩み抜いて、結果的に初めて自分自身を認識してから、「自分」を生きて、健康面でも社会面でも、少々の無理をしてでも、一定の人間になれたように思って、・・いつしか一定の人間と同じように「なにげない毎日を送ること」が出来るように、すっかり環境に慣れて、何も意に介せずにいくつもの夜を通して、満天の星を眺める時間もないまま、時の矢だけは抗えなずに、いきなり「僕」が「今」と同化する。
 その瞬間はいつも唐突で、そう言えば、自分が生きて来た時に、とっても大切な時でもそうでなくても、決して時間が止まらなかった事を思い出して、いきなりなんだか悲しくなって、精神が乱れて、一体自分がどこから来て、どこに向かったのかがわからなくなる。その時h理由は分からないけど、「帰りたい」と心の中で叫んでいる。

 実際に起きた事と、自分の精神や身体に起きてること、多くのトラブルを人並みには抱えていて、その都度対処したり退避したりして適当に処理して、でも、実際にそんな事は大して重要じゃない。現実に対処するだけの話だから。
 
 星があまり出ない東京神奈川では、生まれたときから星を見る機会が無いので、上空を眺める理由もなくて、結果的にか意図的にか無意識にかわからないけど、街明かりばかり見ている事になる。
 
 でも、僕がまだ17歳だった時、僕だけではなくて何人かと沖縄の夜空を歩きながら自然と眺めていた事がある。ほんとうに何気なく歩いていた時だった。その時に初めて流れ星というものを観た。瞬間そこにいた何人かが、「あ!」っと小さく声を出した。
 一瞬だったけど、時が止まった感じがして、「ネックレスのチェーン」みたいに全ての繋がりが輝いていて、これまで観たどんなものよりも美しく思った。
 その時、すぐに「はっ」として、そう言えば流れ星を観たときに何か願い事を言えば叶うなんて迷信みたいなものがあったな・・と思ったけど、実際にそんな瞬間に願い事を言うなんて、「幾ら時が止まったようにみえても絶対に無理」だと後から何度も真面目に考えた。要するに、現実的にそう考えていても、その時に何を願ったら良かったのだろうか?と何度も考えたという事だ。
 
 その時に「欲しかった」もの、「起きて欲しかった事」を願うのが筋なんだろうけど、願い事を考えれば考える程、一つだけ選ぶのも不可能なのではないかとと思った。多くの願い事を思ってしまいそれらをまとめられないという事である。
 
 でも、もし一つでも、というのなら、今から思っても、恐らくそれが自分の人生を変えるほどの出来事にならなかっただろうと思うものだった。
 
 「僕」の生きている世界と生きてきた世界は、もう、その瞬間に失われている世界でしかなかった。
 世界には多くの残酷さがある。何が一番とか二番とかそういう話ではなくて、その残酷さこそ「抗えないものは時の矢」だ。

 人は、実際に「起きた事」の上に人生が乗っかっているけど、「僕」の人生は、「実際には起きなかった事の為」にだけ生きた人生だった。それだけが真実で、その課題だけがずっと残っている。だからこそ、その問題に執着して、ずっと考え続ける事になる。解決しない課題だけがそこにある。

 ましてや、17歳の「僕」にそんな考え方は出来なかった。
 ただ、無情な時の矢が、数千兆分の一秒でも進む度に、幾つもの分かれ道や、幾つもの出会いを考えるだけ考えさせる。
 「僕」についての象徴的な一瞬というのは、あの輝いた星の流れで、ついには、それだけが「僕」全てだったのかも知れない。

 「僕」は一瞬の情景を絵的に記憶する事が多い。一定の詰め込み知識と頭の中の情報処理能力を身につけた時に、多くの記憶を持っている事に驚かされるようになった。
 あと、多くの場合はカラーの夢を観るみたいな感じで、美しければ美しいだけ、それが一瞬でも、なにかじんわり来る情景と重なって、そのまま溶けていく感じがある。
 
 幾つも積み上がっていく記憶は、実際に起きた事。
 幾つも積み上がっていく記憶は、実際に起きなかったもの。

 そして一瞬の積み重ねで、時の矢に抗えなくなり、時には凍り付いたように立ち尽くすだけだったり、情景を目に焼き付けたり、その場をなんとかやり過ごすだけだったりする。
 「舗装された道」と同じで、全て無機質な迄に、踏まれるだけの場所。
 その役割のみこちらの意向に関係無く、無情なまでに続いていく。
 
 「僕」は多分そこにずっといただけ。
 それ以上は何も出来なかった。

 大学に入って、初めて東京近郊以外の人と話す機会があった。流れ星についてだ。
 「僕」がその時の話をしたら、「そんなのいくらでも観られるよ」と言われて、そう聞いても実際に「僕」は信じられなくて「そうなの?」と何度も聞き返したぐらいだ。

 でも、「僕」は東京近郊以外にも何度か出かけているけど、17歳のその時まで観たこと無かったので、なにか意味があるのかと思った。その後も沖縄には何度か行っているし、南国にも北海道にも行っている。でも流れ星は一度だけしか観ていない。
 
 「僕」は多くの願っている事、例えばここであの人と会いたい、と思えば、割と願った人に会えたりする場合が多い。これがあったのは10代から20代くらいまでがピークになる。不思議なほど引き寄せる事が多かった。
 (「引き寄せの法則」という本があったようだが、そもそもの原題はこの題名ではないし、なにやら日本人お得意の「意図的な誤訳」だけが出回って、そういう界隈で言葉だけが出ているので、一応原題をちゃんと訳した上で使用すべきだと思うが。) 

 今はこの引き寄せる何かというのが、ほぼ起きてこないようになっている。
 
 あの時、もっとはやく気がつくべきだった。
 「僕」の人生を変えてしまった「時の領域」に踏み込んでしまう事になることを。
 
 もし、願いが叶うなら、もう一度「あの時の流れ星」をみてみたい。
 
 17歳のあの時以来、「僕」は流れ星を見たことがない。

家の中でタランチュラが出たんですけどww

いや、マジで・・これはかなりビビったwww

Gについてはたまにいても対処出来る。
とくに、殺虫剤はゴキジェットを買うようにしていて、それなら割とすぐに沈静化する。
と言うか、蚊とかにもそれを使えば早いのでゴキジェットを買うようにしています。

廊下の電気をつけてすぐに分かった違和感・・。黒くてデカい・・。いや、Gよりも数倍デカいんですよ・・。
しかも気持ち悪さも半端ない。
一瞬自分の家なのか分からなくなった。ジャングルじゃないので・・。

とりあえず、やるしかない・・。
ただ、ゴキジェットで一旦沈静化して最悪新聞紙で叩く・・と思ったので、部屋に戻ってゴキジェットとビニール袋を手にすぐに戻った。
まず、デカいので手のひら以上あるんじゃないかな・・。
それに音も大きい。動くと重さとか音とか半端なくて、今まで見て来た虫と段違いだった・・。

恐怖を感じた・・。そもそもこいつはなんでここにいるのか?
毒があるのか。攻撃的なのか・・。そういうのが全く分からない・・。
叩き潰すのも気持ち悪すぎて自信がなかった・・。

すぐにスプレー缶を数分間噴射しつづけた・・。
辺り一面見えなくなるまでやってもやつはなかなか動きをやめない・・。
ただ、たぶん効いてくるだろうなと思った。
しばらくしたら動きが止まった。

しかし、あれを掴むのも気持ち悪すぎて新聞紙何枚か重ねてようやく新聞紙と袋にいれて処分出来た・・。

さて、そもそもなんであんなものが居たのか・・。
どこかで飼われていたものなのか・・。謎過ぎる。
そもそも、タランチュラなのかすらよく分からない。
でも、ジャングルとかでみかける真っ黒いのです。
でも黒一色だからマシかな・・。模様とかあったら発狂したかもw

この間出かけた時にゴキジェットを買っておいて良かった。鬼噴射で半分使ってしまったがw

しかし、家に出る場合の恐怖はレベルが違う・・。
この間YouTuberの方が苦手な系統の虫を話していたけど、まあ、それってでもみんなが恐怖する虫だよね・・というものだった。(ここに書こうかとおもったけど辞めました。)
本当にキツいのはそういう虫なんだよね。Gとか普通に思えてきた。
だって、タランチュラですよ?家に。手のひらサイズの。
何事かと思ったよ。

本当に虫は嫌だな・・・。もちろん虫もこの世になければならない存在として一定の自然環境があるのだろうけど。
でも、気持ち悪さや攻撃性、そういうのは本当に無理。
僕で無ければ対処出来なかったかも知れない。
幸いそいつは攻撃性はなさそうだったので遠巻きにスプレー攻撃でなんとかなったけど・・。

再度言うがタランチュラだからね?w

うーん。苦手な虫が今後もでてくるかも知れない。
その恐怖は屋外であれば半減するけど、家の中だとね・・。

殺虫剤ばらまいたので床が滑るので拭き掃除もした。
あんな体験はしたくないな・・。
普通はしないと思うけどww

教習所の輩(やから)と説明について

私の住んでいる地域の教習所で、年中混み合っていて、評判がとても悪い所に通っていますが、
数時間の教習で三ヶ月以上が経つようですw

その種の商売繁盛な手法で人気の教習所ですが、事もあろうに最終段階でも落ちました。
ただ、翌日すぐにうかり、後は卒検だけです。

ここでは月に一回しか行けないので社会人は無理ですね。

とは言え、教習所というのは昔からどこも評判は芳しくないところがおおいので、そういうものなのかもしれません。

ただ、どうも女性には優しいようです。
と言う事は、女性に対してはちゃんとした教習で上手く出来るように教えられるということでしょうか?

謎が深まるばかりです。女性になるとちゃんと説明出来るようになる薬とかあるのでしょうか?w

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とりあえず、次が卒検のみなので、大きくメンタルが良くなりました。やっと前向きに行動出来るようになりつつあります。

落ちたときですが、説明のせの字もないんですよね・・。
そもそも、後から「今それをやっているのはどうしてか分かってますか?」とか説明無しで質問されて、それでも何とかそのように運転していきなり言われました。は?なんなん?w
こんなの馬鹿の所業です。
思ったのは教習所もどこも酷そうという事でこれは昔から変わらないです。

思考してみて思ったのは、なぜ翌日はすぐに課題がクリア出来たのかで、その理由は単純で、前日の馬鹿が間違う所の本質とポイントを全て終わってから言うので、全部間違えただけです。
普通の人間なら説明が上手にされない場合、絶対にミスします。
私も仕事等では、なるべくそのような事がおきないようにきちんと説明をします。

ここで人の説明するパターンを二つに分類してみました。ここではその教習所の場合、でそれを主に考えます。

① 単純に説明が下手である事。「本質的な事を言わない」で、相手の失敗をみてダメ出しをする。説明が不十分か全く無しです。これでいきなり出来る訳がない。だからこの種の馬鹿の場合は説明と本質を即座に言うように喧嘩になってでもすぐに反論すべき。
ただ、社会に出て、この種の馬鹿はよほどの輩であって、最終的には僕も文章化するか言い返したりするレベルですね。だからそんなのが教習所にいるなんて考えた事も無かったです。社会でもあまりいない。

② 説明が論理的で本質を言う。これであれば、本質がこうだから他の事もこうだろう、とかこっちが考える所も出来る上に、間違えにくくなる。社会的にはこっちの説明が「普通」です。

あと、説明を聞く側の注意点もあって、僕の場合は内容を全部聞き逃さないようにして、本質とロジックで頭の中で考える事をする。聞き手でよく無いのは、人の話を聞かない人です。このタイプだと説明する気が失せます。
また全文を言って、それの本質的な部分を取り出して聞く事が出来ない人が「恣意的な判断に頼って」間違ったことをします。

こじれる場合は大抵こんな感じなのかな?と思っています。

とりあえず、数ヶ月かかることは想定外だったのでメンタルも良くなかったですが、何とか過ごしました。状況次第で少しずつよくなればと思っています。

最初に好きになったアイドルさんのお話し


 ・・・どんな話題にしようか考えてます。
 とりあえず、TIME紙のトランプのインタビュー見てもなにか釈然としない感じは残った。

ただ、利下げがあるかもしれない雰囲気が出て来て、パウエルさんがちょっと言い方を変えた。
 僕のような小市民は世界がどうなるか解明するとか、儲けるとか無理なので、いっそ苦しまないでさっと消える方がどんなに良いかと思う。ただ、色々文献をみても安楽死を推奨している国はそれなりに闇があると思う。
 
 とりあえず、今は未来ではなく過去への脳内旅行中ではある。

 普通なら前向きではない行動をしているが、多くの細かい事象まで思い出してみると、色々発見があって面白い。
僕の場合は元々前に進む考え方をする事が多いのと、嫌な事に依存して(←他者依存)生きる事もしないので、実際には俯瞰視点で内省を整えているという感じ。

 なので、今の所少しずつ落ち着きつつある。特にメンタルは。
 身体はたぶん難しいとは思うけど、何もかもがだめという事はないので寿命まで生きる事になるけど、家が複雑なのでそれらを乗り越える時期にもまたひと山かそれ以上問題が出てくると思う。
 
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 自分が最初に好きになったアイドルさんが誰なのか書いても問題ないのかも知れないと思うようになった。僕の年齢も散々偽情報を出したりしていたけど、もはやこの年齢になるとどうでも良くなるのでw

 話を戻すと、僕はかなりそういうのにハマっていた時間があったので概ねその頃の事は思い出す。
 きっかけになった人はお寺の名前の検索でヒットする人(薬師寺容子)。
 で、もう一人、麻生かおりさんという方がいて、直接的にハマッたとかではないけど、僕の「この人絶対良い人センサー」が働いたのを思い出した。また、当時のイメージ作品がボサノバ調の曲の選曲が良くて、南国、健康的な美少女、笑顔がすてき過ぎる、と言う事で、寝る前にいつもみてた時期がある。南国と曲と美少女のマッチ具合が半端なかったので。

 ただ、実際に会ったことすらない人で、この人もまともな人なのでもう引退しているけど(芸能界に残る人は一定のポジションで極めてラッキーだった人以外は残らない法則があるw)、ふと気になって調べてみた人がいる。
 なんと、ブログが2022年までで止まっている癌サバイバーで一瞬真っ白になってしまい、現状どうなっているのか気になった感じ。
 ただ、ブログではなく、インスタはみてみたらなんとかやっている感じだった(インスタフォローしたw)。お子さんがまだ若いけど、現在は本格的なお店を経営されている様子で、すごく良さそうなお店なので、何も語らず普通に予約とっていってみようかなとか思った。
 
 好きだった人、好きな芸能人やアイドルさん、いずれも今では既婚者になっています。一般人でもそうかと思う。
 あと、目立って活動していない人とかも多くて、僕が世に少し足を突っ込んでから一切追っかけなくなったので、その後どなったのか、等を一人ずつ調べたりもしてました。
 消息不明な人については分からないです。
 
 さっきのイメージビデオについてだけ書きたいので書きます。
 当時はビデオテープ媒体だったんだけど、すぐにDVDもでて結局そっちを見ている事がおおかった。
 うちのプレイヤーはアップコンバートが効く使用になっていたので、解像度も良かった。
 それと、その頃はまだ30分程度の中にキャラクターの良さを上手く演出で繋ぐというのがうまく出来ていて、2000年代中期以降くらいの、それこそ1時間半くらい電子楽器のBGMとか定番の曲ばかりかかる流れとかはなくて、出来がとにかく良かった。
 そのアイドルを好きでなくても好きになるくらい良い演出のものが多かった。これが言いたい事です。
 とくに、当時のポニーキャニオン系列が絡むと一つの作品のように輝くので、脚本も良いのかも知れない。
 この差って伝わるかな・・。

 やはり、アコギ系列の曲がBGMの方が良いし、生ピアノとかでもそこそこ良さそうなの出来そうなんだけどね・・。
 今ではそういうの作れなくなったのでなんか寂しいけど。
 
 まあ、アイドルとか女優とか、そこそこハマる傾向は強いので、ハマらないようにするメンタルもそこで覚えた感じ。

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 僕が人生を上手く生き抜けたかどうか・・あらゆる選択肢を考えたけど、「絶対上手くいかなかった」という結論に達しつつある。必ず世の中のゲームチェンジの波があって、そこで僕に限らず多くの人が苦労する羽目になったと思う。
 結局は、ぼくが今こういう文章を書いているのも、これまでの経験と知識の蓄積であって、今後一歩ずつ進もう、と少しでも考えていけるように、貴重な時間を過ごしています。 

さて、そろそろかな・・。

 
 なんか、思いのほか教習所の時間がかかっていて、あまりメンタルも向上しないけど
(・・説明があまりないので予約が上手にとれない状態でまた二週間放置)。
 しかし、まあ、時間は一年たっぷりある、と思って適度にがんばろう。
 そもそも、バイクの免許は単に原付の独自規定をクリアにしたかったから。
 そして、免許という面倒なものは、時間が無いととれない。大学入る前にかなり通っても、本試験で夏になっていたのを思い出す。車だったので時間もかかりあの頃は教習所とか酷い輩ばかりいてメンタルやられましたw今思えば指名をガンガン活用すれば、上手く行ったんだろうけど・・。

 で、その時も疲弊していた。
 教習所で中学生の時好きだった子がいて、話しかけられて、何やら話をしたのはよく覚えている。
 ただ、当時はコミュ障が最高潮だった時期かもしれないので、うまく話もできなかった。
 失った時間分だけ時間がかかると予備校の英語の先生が話していたのを覚えているけど、そんな訳ないだろ、とその時は心の中で思った。受験が終わったらとっとと自由の身になってすぐに元気になるだろうと思っていたから。

 しかし、実際には、「その通りだな」って、大学3年の時によく分かった。というより、人格が破綻してしまったのが分かったので、心理学やその種の情報をとにかく貪欲に求めていたのかも知れない。

 僕はその辺りから少しずつじりじりと、自分を変えつつあった。しかし、大幅に変化するにはまだまだ時間がかかってしまい、結果的には青年期の全てを費やしてから人生が動き出したから。だから僕の場合はこの時期に起きた事はほとんど公にしてない。話した事もない。ただ、バンドはやっていたので順調に成長していたし、音楽もピアノも本気で弾いていたので、スキルは身に付いたのかも。
 
 125ccのAT小型を敢えて選ぶ理由は、結果的に買い換える個体がその大きさになる事。高速や専用道路は使わないだろうと考えた。それは、ロングツーリングというより、今20キロ圏内は動けてもその範囲を50キロ以上に出来る。それにぼくはわからない所に行く場合は、航空写真などから車線がどのようになっているかいちいち確認して原付にのっていたので、気ままに出かける事が出来ないのもストレスだった。適当に自由に走りたい・・と思っても原付では難しい。

 あと、燃費、維持費、駅での駐車場代(200円以内で屋根付きの所に駐められる)、ほか小回りも利く。

 それと、125の白ナンバーが現行の50ccに置き換わるし、そうなると捕まりやすくなる気もした。警察は車種で見分ける事になるので。しかも、ホンダの場合はほとんど認可される予定のはずなので。

 あと、マニュアルを絶対に選ばないのは、僕は運転関連とか工業系とか、理系とか、まあ、ほとんどのものが苦手な上に、メンタルも強くは無い。
 だから、最小限の情報処理で済む乗り方を選択するという感じ。
 
 しかし、二万円ちょっとだせば普通は取れたので、微妙かなとかおもってもいるけど、教習車両がPCXみたいなのになるとどうなのかなとか、その場合は一本橋の恐怖が最後まで払拭されないかもしれない。あの無意味な試験は最後のコースにあって、落ちたら全てアウトになるという、プレッシャーに弱い僕にとっては厳しい。
 ただ、小型ATでは、シュミレーションの時間が多く、実際に乗る時間が4時間程度しかない・・。これもちょっとどうなのかなと思う。運転に慣れてないので、失敗もしやすくなる訳で。
 頭ではコースは全部覚えているので、最後だけなんとかなれば・・という所だけど・・。

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  さて、ブログを注意深く見ていると色々な人が訪れている。
 ただ、僕の立場は反ユダヤ主義でも陰謀論者でもないのでw
 ワクチンは反ワクチン派ではないが、打たなかった。僕はアレルギー起こしやすいのと、自分の感覚的判断で決めた。
 実際にワクチンではなくて薬が出てこないなら無理だと思うし、そもそも在庫処分のワクチンを最新の流行に効くと言って散々煽っていても、打った人でかかっている人がとても多いのに、そういうのはどうなのか?と思う。
 それとも、僕がおかしいのかな?w
 
 いずれにせよ、陰謀というのは密かに進行するもので、「ある」とは思って見ている。それは表だっては分からないように進行する問題なので、上級国民でない日本人であれば、みんな同じようになる。
 
 あと、アメリカの大統領選までは利下げを積極的にしないか可能性もあるが、その影響と、トランプの再選となると、今だとかなり不安要素が強い。10年前に書いた通り・・の世界線があり得るかも知れない(消してるかも知れないけど)。
 トランプの憂鬱は、陰謀論者が大勢バックにいること。僕がその種の人達に盲進しないのは、その種の流れは常に悪い形で利用されるから。だから、自分の考えで盲進しないようにするべきで、正しい情報をほんの一部が出していれば、そういうのを拾っていけるようになっていなければならないと思う。つねに俯瞰視点は重要だと思う。あと、自分と違う意見も聞けるようになるべきで、レベルの低いことをしないようにする。まあ・・教科書でもテレビでもどこでも一番重要な事は伝えてくれないから難しいのかも知れないけど・・。


 ましてや、トランプは、何度も陰謀論者のせいで自滅しそうになっているので、はっきり切り離すべきだと思う。
 もはや、彼単独でも、アメリカ経済を立て直すのは不可能だと思うが、明確に指示をすれば、最小限のダメージで済むかも知れないが、たぶん難しいと思う。
 逆イールドが解消されてからが危険なのでまだ平気だけど・・。
 
 あと、グレートリセットという予定もあるので、それをどのようにもっていくのか、慎重に見守るしか出来ない。
 経済は世界的に駄目になるように進行してしまっているので、どのような事が起きても驚きはないという感じ。
 
 上級国民は日本では裁かれないというのは、暴露系が流行りだした所あたりから大きなうねりになって出て来た問題。
 ここで言う上級とは、たとえばいじめで人を死に至らしめた親が○○の関係者だったら上手く逃げ失せられるとか、そういうのもふくまれる。お金持ちとかもそうだけど、どちらかと言えば組織的な癒着という感じ。それが日本の伝統らしい。

 ジャニーズは逃れられなかったが、一応、歌舞伎と宝塚は逃れた。つまり、そういう事・・。
 ただ、世間的に言える雰囲気は出て来たので、どんどん明るみなってきた。

 僕のスタンスではどこまで言えるのかという感じだけど、みんなが考えているより芸能界なんて真っ黒なんでw
 枕営業とかで騒ぐ時点で・・というか、女性から普通に性交渉にいくくらいな世界ですが・・。
 あるいは、そういうのをうまくアテンドしているのも女性タレントだったりする世界w

 まあ、僕が好きになる界隈は黒い人いなかったけどね・・。
 その人自体が壊れているとかそういうのは別ですが。
 
 まとまりの無い話をかいてしまった・・。まあ、ここまで読む人はいないと思うけどw

 おもしろいアイスを発見したのでそういう一般的に受ける写真とかアップしようかなw
 インスタとかでw
 

釣りっぽいタイトルだったからかな?w

皆さんこんばんは。

読んでくれている人がいるのか分からないのですが、元々マニアックなブログを書いていたのを思い出しました。
特にクラシックやピアノについてマニアックでしたね。
政治的な話題もネガティブな内容も書いてましたが、そういうのは消したのでスカスカになってます。

何故かアクセス数があったので通知が来たのでびっくりでした。

今日は時間があったので、高校時代からの写真をスキャンしまくってました。
デジタルデーターにする価値があるものを、色々スキャンしてみると面白いです。

写真を見ながら色々思い出すんですよね・・。
この写真は同じアングルだけど何で二枚あるのか、と思った瞬間に一回目では不十分な光量だったので二回撮ったな、
という細かい所まで思い出せるものもあります。

実際に多くの事を覚えているのは10代の密度が濃かったから。
それ以降に多くの経験を積んで良い思い出も多数あり、バリエーションも色々ありますが、
それよりも時間の密度が濃いという事実は変わらない。
これはちょっと切ないですね(^^;)

前回も書いた選択肢を色々思い返すんですよね。
今とは別の生き方をした可能性とか考えます。

人生や時間はRPGでもアニメでもないので、時間の放たれている矢に向かって一つの可能性しか選べない。
等しく平等でそうなのかも知れないですが、結果的に今がどうなっているのか。

人によってはそれなりにまっすぐに平坦に来ている人もいて、その差は運としか言いようがないんですよね・・。

僕にはそのような運は持ち合わせていないのかも知れないですが、自分の好きな生き方、もっと選べたはず・・。
と思います。

運というのは残酷でもありますね。
僕以外の成功者と思われる人や近い人でも、心や身体、仕事の環境など決して平坦ではない人の方が多いです。

僕はリアリストなのと、未来志向をする人間だったので、後悔をしない方なのです。
いつも自分で決断した事から先に進もうと思うので、切り替えて進む事が容易でした。
ただ、これは僕の内省的な面の本質とは違うのも分かっているんですよね・・。

内省的な側面が強いので、実際にはかなりノスタルジックな人間です。
むしろそれを生きがいに加えられなかった事が、僕の人生のミスだと今では思う程です。
ただ、内省的すぎる故に、それを避けて次を考えるという行動力を意識的にやってました。

写真を見ながら、色々思い出す事も多いですが、そもそも覚えている事も多いので、同窓会ではアーカイバーと言われた事があります。

何というか、絵的に記憶する事がおおいのかな、と思っています。あと、言葉とか論理とか好きなので、直感的で視覚的で、
でも冷静に論理的に覚える感じです・・。
説明が難しいですが。

取り返しはつかないですが、取り返しがつく問題もあるかも知れないので、最近はその過去と未来の接続する所を
上手く見つけ出していきたいとおもっています。

なにかしら出来ることはまだあると。

今日が23日ですが、僕は4月23日を節目に少しそれまでよりマシになるような変化が起きる所として一年で一番気にしている節目なんです。
誰かに言った事はあまりないのですが、この日から状況が良くなったり変化が起きたりするんですよね。

悪い方に変化しないなら良いのですが、気持ち的には前向きになりつつあるので、無駄な事は考えず進んで行ければと思います。





 

えっと、僕は・・私は・・

多分10年以上放置していたのですが、その間色々ありすぎて何処まで書くか。

私達の世代は、常に技術革新が起きて、ずっと不況で、氷河期で、物事のゲームチェンジが多すぎて・・。

そんな感じで、何とか生きてきたのかも知れないです。

活動的だったのは2010年代位までで、ほぼ表舞台に出なくなってます。
理由は特にないですが、自分の限界はメンタルと身体能力にあるので、まあそういう事だと思ってくれれば(^^;)

ピアノとかクラシックやその他色々マニアックなのは変わらずなのと、
アンチエイジングも続けているのですが、さすがに無理ゲーな部分も多く出ていて、
少なくとも10年間くらい、体調がよくなかったです。

とは言え、まだ生きているようです(^^;)

一応動けるのと、見た目はそこそこ頑張っていたので、常にアップデート出来ればと思っています。

とりあえず、年齢をいまだにすぐに当てられる人はいないようですw

しばらくぶりなので、ログインに一瞬苦労しました。IDとか忘れていたのでw
しかも、今は使えないメールアドレスだったので、諸々変更しました。

ブログが全盛期だったのはかなり前ですよね・・。
その終わりの頃、YouTubeをよく見るようになっていて、
やらないと思っていたLINEをやって、
やらないと思っていたツイッターもやって、

そうなると、発信源がSNSになったりしてくるので、
自ずとブログから離れていました。

私は文章を書くのが好きなので、こんな風に徒然なるままに書く事が出来るブログが合っていますね。
しかし、今では300文字で長文と言われる時代になっていて、そんな時代が来るとは予測もしてなかったです。

ツイッターで鍛えられたのは、短文で厳選した表現で伝える技が少し身に付いた感じです。
しかし、やはり長文が慣れています。正しい日本語ではない所もあるかと思いますが、そもそもマニアックな傾向のある
ので、なかなか楽に短文を書くのも厳しいです。

さて、まっさらになってしまい、これからどう生きるか、という感じですが、
常にスタートラインにたてるようになりたいです。

頭の中で考える事や思い出す事、(特に10代の頃など)が多くなっています。
その時々での、自分の選択肢、方向性、行動、それが少しでも違っていれば、今の自分はいないのですが、
逆に違っていた方が、幸せだった形があるのではないか?など自問自答しています。

特に小学校中学校高校までの振る舞いや行動での変化は大きかったかも知れないとも思います。

大人になれば、少し余裕があればですが、方向性に関係なくても、自分の意思で方向を決められるものもあるのですが、
中高校生くらいに、あらゆる可能性を選択肢として考え抜ける事はほぼなく(もちろんそれは当たり前の事ですが)、

とにかく幼かった自分がいます。

私が20代後半から30代以降の生き方を、いかに経験値で多くを補完して生きて来たのかがわかります。
経験値が少ないことが問題になるケースも多く、とかく私のような人間にはそれが必須だったのかもしれません。
大げさにいえば、命取りな綱渡りをしていたのかな、と思います。

「繊細さ敏感さ」しか持ち合わせていなかったので、それが大いに人生をこじらせた原因でもありますね。
その為、多くの場面で苦しむ羽目になったし、最善手を逃し続ける人生になっていて、それが常態化してしまったのは
あまり良い事ではなかったのかなと思います。

とは言え、私は嫌な事はなく、楽しかった思い出をまっさきに思い出す性格です。
自分が何が好きで、どんな所から本質が出来て、どんな人と出会って、どんな物語とであったのか、
色々思い出していました。

比較的時間のある今できる事を、なんとかやっているだけかもしれないですが・・。
時間があると、色々考えてしまうのは癖なので。
内省的な性格自体は変わったいないし。

今では本質を作ったキーになるものが、どんなものだったのか分析出来るようになっています。
負の問題からくるものではなく、心の底から湧き上がるものというのは、打ち込んだものやのめり込んだものに多くあって、
それが形成過程で影響を与えた事や、選択肢にも影響を与えたのかも知れないです。

元来、私には多様な側面があって、今ほどではなくても、17歳の「僕」であれば、既に他人よりも俯瞰視点が強かっただろうなと思います。

「僕」と書くのは今でも癖ですw
ただ、仕事上でビジネス的なメールや電話をかけまくる事などの経験から、あまり近年は僕と書かないように気をつけて書いています。

でも、僕で良いのかな。僕は僕でしかないから。
僕と書くと、真っ先に男性だと相手に分かって貰える点は良いのかなと、ふと思いました。
あと、内省的な自分にアクセスするにはその方が早い気がします。

体調とメンタルはある程度回復するとしても、限度があって、それ以上にはならないと、もはや分かっているので、
一般人と比較するのは無意味なので、それもしないです。

でも、出来れば少しでも「輝いていたい」かな・・。

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このブログを更新する気になったのは、昔好きだったアイドルがいて、それ以降もアイドルとか女優とかマニアックになった
のですが(好きになってハマると言う属性は元来あるようです)、
それの一番最初のきっかけになった人を思い出したからです。
彼女は今も生きているのが嬉しかったです。
幸せならなによりです。

元々注目したのは、その子に似ている好きだった子が高校生の時にいたからなんですけどね。
その子に似ている好きだった子を思い出してから、そのアイドルも同時に思い出しました。

これがなければアイドルとか芸能とかに興味はそこまでいかなかった可能性もあるので。

コンサートとか物販とか色々行った。
ファンレターも書いた事あるかも知れない。
もともと僕は洋楽の来日アーティストのライブ中心で他は関心なくて行ったこと無かったんですけどw

高校ではメタル系のカバーとかばっかりやってましたし(当時はドラマーだった)。
ちなみに、キーボードは大学からです。
ピアノは元々習っていたので。
大学のサークルのバンドがなかなか良いバンドで、いきなりオリジナルを作るとかやってました。
その頃には既にそのレベルにいきなりいたのがマニアックな自分を表している感じがします。

わからないものですね。

話を戻すと、
そのアイドルさんのCDとか、今でも捨ててないですね。
お名前は完全に伏せてる可能性あるので書かないけどw

良い時代だったのかな・・。
上手く言えないですが。

様々なお知らせ~蚊をたたきのめすこととかw

色々あってなかなか更新できてない放置気味ですみません。

もう完全にぶっちゃけると、自分の体調やメンタルの問題がこの数年間続いている事で結構大変です。
と言っても、落胆ばかりしている訳ではないです。
そういう不調は何とかコントロールできる範囲にあるのと、さすがにその状態になれるというか、受け入れるというか、そういう生き方でも前に進むという考え方もあるので、気にしても仕方ないかなと思っています。

僕の場合はそういうのが普通なので。

僕については、最近はツイッターが主なので、何かあれば連絡頂ければDMとかも返信します。

たかとん
@outfield1987


またメールでも可能です。ヤフーアカウントの調子が悪いので
megondine@gmail.com
までお願いします。

ちなみに今仕事的な事が固定されて無い状態です。何かあれば誘ってください。
先月まで4時起きとかだったのもなくなったので時間はある方かと。これについては、色々まあ書きたいですがかけないのでw

色々ずっと考えているのは、僕の情報量から伝えられる範囲が多い事と、表現したい事も多い事。
どっちかと言えば、情報発信力があれば、需要があるのではと思うほどになったのが一番大きいですね。

いろんな事象を音楽で説明しても良いですが、そのまま説明する事もできます。

これらがあるので、起業しようかと思ったり、かなりぶっ飛んだ思考もしています。

マイナス思考になるのは、自分を社会的においた時と過去と比較した時になります。
今年はそういった実体験以外にも、色々失墜する事があったり、世の中が何かこのままではとんでもない間違いに進んでいくのではないか?と危惧しています。
僕は上級国民ではないので特に心配もありますね。

そんな感じなので、思想的に確実に変化した部分は多いかなと思います。
これだけネットの発達がある今なので、多くの問題がよくわかるようになっています。
その為、見えないものもよく見えるようになりました。
闇が強いのはいつの時代も当たり前なのかもしれないですが、そうなると割り切った考え方も必要かもしれないなと思ったりもします。

対応はするし、人間性も維持する。
情報に偏らない事は基本的に守る事。
これらは変わらないです。

で、ツイッターのプロフ欄に「蚊を殺すこと」など追加しているのですが、これが特技だとあまり強く思った事が無いのですが、誰と話しても反応が顕著なので足しておきました。
たかとんは、蚊に刺されることはほとんどないです。というか今年も刺されてないのではないかな・・。
蚊に刺される前にたたきのめすので、僕にまとわりつく蚊は死ぬことになります。
蚊を叩きのめすのは、こつをつかめば誰でもできます。ただ「技」というか、若干の集中と鍛錬が必要です。
実践したいのですが、そんなときに誰か動画流してくれれば助かるのですがww

あ、これで一個ネタにできるかw

これを実践した事があるのですが、その場にいた友人が5分くらい笑い転げてくれたのでうけるかもしれない。

それと、天気予報を自分で予測する事。
実際には確率で統計的にわかる事が多いという感じです。
これも足したい項目なのですがツイッターではたぶん文字数がw

天気予報に関してはこの間の台風の予測もほとんどわかったのですが、テレビは相変わらずの無責任な感じがして、残念でした。
この場合は、どうなっているのかを判断する力がプラス必要になるので、メディアに対してのこちらの情報量と判断力が必須になります。
とにかく考える力が必要なので、実際に話している事や報道している事の先や裏を読む事が今では絶対に必要になった気がします。

僕はYouTubeなどのコンテンツが優秀で早いと思っているので、必ずチェックしておくと補えることが多いです。
良くないのは、だらだらと自分の見たいものだけを見させられるようなシステムに組み込まれてしまう事です。
それが役立つこともありますが、ひたすら一つのものを信仰するようなマインドになると、そういうのだけを自分の目が追うようになるんですよね・・。これになると廃人化してしまいますので。

YouTubeの良い点は、再生速度を上げられる事ですね。
もっともほとんどの場合は1.25倍速ですね。話している実時間を楽しみたいコンテンツの場合などは(音楽とかそういう動画とかもですが)通常のスピードで良いですが、情報が知りたい場合は、1.5倍速というのもざらにあります。
DAIGOさんの動画ですら1.25倍で見ているので。本を読むより早いですし、読む場合は速読や省略の必要も無いのでやはりはやくすむし、便利ではあります。

という感じで、ぼちぼち頑張るようにします。
 

鬼束ちひろの気迫のボーカルと歌と演奏。



僕が弾いてもこういう感じになるので、強烈に出て行く表現をするので、ボーカルがいかせなくなる事があります。でも、生ピアノだから出来る事というのが伝わらなくなっていく事で「音楽」がなくなってしまうのが残念です。電子ピアノと、それでもなお生ピアノが同じだと言い切れる人はなんなのだろう・・。
そして、この鬼束ちひろの歌、歌詞も曲も好きだけど、このバージョンがユーチューブで一番すごい演奏のアップだと思う。消えないうちに聞くべきかと。
最初の話に少し戻るけど、僕の場合はピアノに乗り移る演奏をする時、ボーカルがそれに追従するかボーカルに僕が追従するかの相互関係が自然に発生して、発光する感じになる。そのため、ボーカルがその「発光」を見失うと崩れるという怖さもあって、なかなか難しい。
その場合は電子ピアノで弾く事になるというのが実は正直な所かも知れない。

ちなみになぜか日本人は耳で聞いたりしてわかっているのか疑問なのですが、べーゼンドルファーがすごいと思われているのが不思議。嫌いでは無いけど絶対に私なら選ばないw私はカワイもべーゼンも弾きたくないですw
しかし、カワイの最新の電子ピアノは史上最高のピアノタッチ鍵盤で、また、カワイの技術者がかなりのレベルでアップライトピアノのタッチセンスを飛躍的レベルに高めているのは大いに評価したい!!
そのカワイの電子ピアノ初号機は生ピアノタッチに近くてすごく良いです。僕は当然所有してますがタッチセンスが違うという事すら、もはや楽器店で試奏しても誰もわからないという悲しい時代になりましたw
楽器屋なのに、しかも電子楽器ですらもうわからないなんてすごいな・・。これがピアノが地の底に落ちたと僕が日々思う事の一つだったりするけど。

僕が、常にスタンウェイかヤマハを選択しているのは音の鳴り方の問題(この話はもう良いと思うので割愛)。ただしこのようなフルスケールのピアノになるとどのみちすごい音にはなりますが・・。)感情が増幅する不協的な音圧にのるのが最高にすてきな演奏。僕もよくこんな感じになります。

話を戻します。
全盛期の永倉秀恵と、中原涼のみが発光現象についてこられた、生ピアノ時代の最後のボーカリストかも知れない。
他にもたくさん良い方はいるのだろうけど、当たり負けしないの方とまたライブをしたいなと思う。生きているうちに実現出来ると良いなと思っています。

いつの間に、あたしは、こんなに、弱くなったのだろうか・・。