「歴史ある 古墳も多い 豊後大野」
↑豊後大野カルタの読み札のひとつです!(41番「れ」)
絵札、募集中です!
詳細は↓
本題。
本日は、三重町にある重政古墳の現地説明会に出席。
豊後大野市には前方後円墳がなんと8つもあり!
うち6つは三重町に集中!
(Cf:2012年奥豊後古墳シンポジウム、2014年ジオガイド養成講座)
古墳=豪族のお墓ですから、この地に権力者がいた・ヤマト政権とのつながりがあったと推定されます。
大野川中流域の高台を中心に分布。
・大野川中流域→物資流通の三叉路(瀬戸内・肥後・日向の要衝)
・高台→権威を示す(河川や道を見渡せる位置)
…という推察がございます。
これまで、2つの古墳の現地説明会に出席。
3つ目は、三重中学校敷地内にある重政古墳です!
▽三重中学校。
市内で最も大きな中学校。
この学校の卒業生なら、この古墳のご存知でしょう!
(あいにく私は隣の中学校出身です…(苦笑)古墳ではなく、戦跡の鉄製ローラーならなじみあり(笑))
▽野球グランドのそばに重政古墳あり。
本日の説明会には、100名ほどの大所帯!
関心の高さ、しんけんすごい!(笑)
重政古墳は、今年度から調査開始。
市教委を中心に、別府大学の協力のもと調査。
これまであまり詳しく知られていなかったこの古墳について、今回の調査で結構判明したこともあるとのことで、楽しみです♪
以下、画像をもとに重政古墳をご紹介いたしますm(__)m
[1.概要]
・今から1600年ほど前に、この地域を治めていた豪族の墓して造立。
・全長50m強。前方後円墳。
[2.トレンチ調査(発掘)]
(1.前方部先端)
・たくさんの葺石(古墳を覆う石)があり。
→古墳の境を葺石で分つ(奥の墓石が古墳との境界か?)。
・古墳の平坦部には葺石が特に多い。
→ここまで平坦部に丁寧に葺いているのはこの地域では珍しい。
(宮崎の西都原古墳群と類似。)
・葺石をよく観察すると、埴輪も混じっている。
→平坦部の葺石の上に、埴輪が装飾されたと推定。
・葺石については、三重川の石が多く使われているか(チャート・石灰岩)。
→角ばっていることがポイント。大野川のような急流では、石は丸みを帯びる。
(2.中央部)
・後年に掘られた痕跡があり、調査困難な箇所もあり。
→江戸期に道が作られたために掘られ、埋め戻されたか。
→古墳を覆う盛土については、おそらく人の手によるもの。
(3.後円部)
・祠(金毘羅様)が祀られている。
→おそらく盗掘orつい出土があり、祠を祀ったのかもしれない(他の古墳でもよくあること)
→熊本地震の影響で、祠が大きく傾いている。
・トレンチでは、きれいな溝があり、葺石との境を築いている。
・串が刺さっている=埴輪の出土箇所。
→埴輪といっても、一般的な人型ではない。
重政では、壷型埴輪(壷の底に穴をあけただけのもの)が多く出土。
…と、現地説明会は以上です。
調査を通じ、新しいことが見つかりますね!
調査をされているみなさまに感謝申し上げますm(__)m
新しい発見が、地域の魅力にもなるかも!
豊後大野市に古墳が多い理由を考えると、いかに地理的に恵まれているかなど☆
これからの調査にも期待しますし、私自身も豊後大野の歴史などを学んで、まだ知らない魅力にもっと出会いたいですね♪
以上です!よい1週間をm(__)m