私と喘息
6月に上げた記事↓の
自分の人生に責任を持つということ
最後に書いた
「喘息もうやめようと思いました」
の部分についての追記です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
わたしが、
「喘息をやめよう」と思ったからといって、
当然ですが、喘息の症状は無くなってないし
今でも発作はあるし、ちゃんと苦しいし
通院はしているし、薬も飲んでます💊
でも、この記事を書いた時に感じてた気持ちは、
「発作をやめよう」ではなくて、
「喘息のせい(責任)にするのをやめよう。」
「喘息に被害者意識を持つのをやめよう。」
という事でした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
私と喘息の付き合いは結構長くて、
私は、10歳前後に小児喘息が発症したまま、
大人になっても治らなかったパターンでした。
だからか、
もう何十年も、
本当に、多くの事に対して
当たり前のようにして
無自覚のままに私の根底には、
「喘息だから出来なくても(やれなくても)仕方ないじゃない。私のせいじゃないの!だから許して!」
という意識があったのです。
(この間ようやく気が付きました(笑))
こうやって喘息を盾にすることで、臆病な自分を守ってきたんだと思います。
(世界を怖がりながらも、頑張って自分を守って生きてきた私も、よくやってました。えらいのですヾ(^^ )ヨシヨシ)
上の記事を書こうと思ったのは、
自分がそんな意識でいたんだという事に気づいて、
もう、それを止めてみようかな・・・と、スッと自然に思えたからです。
そろそろ、この盾をおろしてみようかな。
もう被害者意識やめてもいいんじゃないかな?
だって、その方が、もっともっと心が軽くなりそうなんだもの
まあ、
何十年も、「喘息の被害者」という立場がお気に入りだった私が
決意しただけでは、当然スパッとは変われないんですけど、
でも・・・
少~しづつでも・・・
あせらずに・・・
ゆっくりでも意識を変えてみたいな。
それで、もし「なんかしんどいし嫌だ」と感じた時には、また、被害者に戻ってもいいかな?
なんて、、、思ってます(笑)
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ナリ心理学さん。
最近よく読んでます分かりやすくて面白い!
依存症は敵じゃない。
この記事・・・
私の場合は、依存症の部分を喘息に変えて読みました。
ナリさんの記事に出てくる依存症も摂食障害も、メンタルな病で、
喘息はちょっと違うかもしれませんが、
私は、自分に起きている喘息は(他の方の事は分からないけど)
私の体を守る為の、過剰過保護反応
なんじゃないかなと捉えていて、
(しくみを考えると、そんな気がしてる(笑))
だから、置き換えて読んでも通じると判断しました(笑)
記事を少しだけ抜粋させて頂きます。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
(前略)
ちっちゃい子供がさ、
「はい!おにぎり(・∀・)/●/」とか言って、
泥だんごくれたらさ、
「泥だんごじゃねーか!クソがっ!どんな教育うけてんじゃ!!」
とか言って
キレないだろ。笑。
摂食障害や
各種依存症はそれに似てる。
やり方は間違ってる。
でも。
あなたのためにやってる。
のだ。
なるほど!
どろだんご
私の体・・・
私の為に体がどろだんご(アレルギー反応による喘息症状)たくさん作っているんだ
と、思うと・・・
あほだでもあほだけど、一生懸命やってくれてるんだな、、、
可愛いやつだなでもアホだな!と笑えてきます
↓ ↓ ↓ こんなイメージ!
どこにも敵はいない。どこにも悪はない。
私の体、私を守るためにちょっとやりすぎちゃったのね!
もう(笑)しかたないなあ(笑)
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もちろん、病気は千差万別で、
医学的なアプローチもとても大切で。
まずは、それが基本だと思うんだけど、
それに向き合うメンタルは、私の場合は、
病気を敵にして、戦う!という向き合い方をするより、
「どろだんご作ってくれてる」
「私の体の為にがんばってくれてる」
みたいなイメージで、ちょっとゆるめに、
「病を受け入れて、自分の一部としてつきあっていく」
のがいいな~、と思ってます。
喘息の責任じゃなくて、私の責任。
喘息な私を可哀想に思うのをやめる事。
私は、私が人生に責任を持って生きる事。
今は、いったりきたりしながらも、
少しづつその方向にシフトしていきたいな~と思ってる所です