こんばんは。たかしゃんです。

早いもので4月ももうすぐも終わり。浪人して入学してきた子とご飯に行きました。

色んな話聞けて面白かったですね。1年の力って改めてすごいって感じ。

さて前回の美大生日記で、2年生はそろそろ自分の方向性を定めていく時期だ、という話があったと書きました。

僕がいる基礎デザイン学科では学科の軸の授業としてデザイン論という座学の授業があります。

1年時は原先生、板東先生、柴田先生の授業で今年の前期は基礎デの卒業生のお話を聞きます。

その授業を今年すでに3回受けたのですが、共通するテーマを感じたのでそれを今日はまとめたいと思います。


今学んでいること、大学でのデザインの学びはどのようにして社会に出た時に役に立つのか?

そんなことを先輩である卒業生から学びます。


初回の授業で印象に残ったのは、課題があった際、解決に向けて動くとき。

課題を解決するときはそのソリューションつまり解決策はどうかを考えますよね?

解決策の質も大事ですが、それよりもその課題の「原因」を見るとどうでしょうか?


ほどんどの課題は「原因」が一つでないことが多いと思います。

先生からは「課題を解決しようとするのではなく、原因を一つでも多く考える。原因を掘り起こすと解決策が自ずと生まれてくる」と。

非常に共感できました。解決するのは原因が見えてないとできないですが、その原因を見るにも多面的に見る必要があるのはもちろん、自分だけでなく他の人にも見てもらうことで「客観」性を得ることがとても大事です

デザインをする、つまりクライアントの要望を形にする上ではクライアント側がまだ気づけていない問題・課題をこちら側から見つけることもあります。

ではなぜ、デザイナーがその新たな課題を見つけられるかというとそれは「原因」を探る力があるからではないでしょうか?

以前書いた彫塑の話でも「寄ってみる」「引いてみる」の重要性を書きましたが、デザインをする前からそれが大事になってくるんですね。

1年の彫塑っていう一見すると関係なさそうな学びがつながってくる。良いですね。


つづいて第2回。現役のカメラマンさんのお話でした。

学生から現在に至るまでの経歴と、現在のお仕事についてお話ししていただきました。

先生自身の考えとして「カメラで写真を撮るという行為」は「所有欲を満たすもの・現実の世界を『モノ』とする」ことらしいです。

記号的な写真、例えば記念写真をとるからピースとか、そのような類のものは別としてカメラをもって街をフラッとした時になんとなく撮った写真。

それらの写真をなぜ撮ったのか?きっと単純に被写体や写真に収めようとした現象に興味があるから、そうではないでしょうか?

先生自身はファッションカメラマンを目指していたそうですが、ある日、人から「人物が被写体の方が向いている」と言われたそうです。そこから自分メインで撮り始めると次々と仕事が舞い込んできたそう。

この経験から先生は「自分のやりたいこと」「自分のできること (得意なこと)」は解離していることがある

そのようなことを実感したとおしゃっていました。

「好きを仕事に」最近少し聞き飽きたくらい聞いたフレーズですが、それって本当にそうかな?思いました。

好きが仕事になってる人って好きだからそれを仕事にした、というよりも好きでやってたらいつの間にか仕事になった

そういう表現の方が近いと感じました。

また自分の中にわからない部分、言語化できない部分があっても良いんじゃない?という話もありました。

でもわからなくても試したり、思考したり。そういう何かする、そっちの方が大事だと。


そして第3回

先生は、デザイン会社に勤務後、インハウスのプロダクトデザイナーさんで会社から社会と関わるデザインのお話でした。


話のメインテーマとしては「モノを通したユーザーエクスペリエンス(UX)の重要さ」でした。

大企業の場合、企画戦略はデザイナーではなく、戦略に特化した人がやるというのが従来のやり方でした。

しかし今日は、そのようなやり方ではなくデザイナーも企画戦略、つまり立ち上げ時から包括的に参加していくとのことでした

つまり自分だけ(デザイナーだけ)でデザインをアウトプットするのではなく、様々なアウトプットを統括するということです。


その際に重要なのが「建設的な批評」だそう。様々な人が絡むとその分、意見の種類も増えてきます。

その際にバッサリと切り落とすのではなく、取り入れたり咀嚼したり...

美大にいるっていうことはそれを実践する場があるってこと。それを存分に生かしてくださいとのことでした。



それで共通点は一体何かというと「人と関わって学んでいく」ということです

まぁ、当たり前っちゃ当たり前ですが笑

集団教育、近い思想をもった仲間がいるっていうのはこういう時に効果があるのではないでしょうか?

以前の共通絵画の感想のブログでも書きましたが

結局「制作」に関しては自分が楽しむのが一番。クライアントなんてないんだし。

でももし迷ったり、悩んだり、うまくいかなかったら意見を求める、そしてそれを咀嚼する。

大学でも、社会でもその行為の本質というか根源は同じなんだなと思いました。


当たり前を知識としても経験としても実感する、この重要さを改めて実感しましたね。

ほんじゃまた。