宗教に対する個人的私見 | 午前零時零分零秒に発信するアンチ文学

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時事問題から思想哲学に至るまで、世間という名の幻想に隠れた真実に迫る事を目的とする!

をちょっと調べてみたら…

次のように書いてある。

 

一般に、人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、観念体系であり、また、その体系にもとづく教義、行事、儀礼、 ...

 

何のこっちゃサッパリ解らん。

要するに、お偉い人の教えを信仰することなんだろ?

未成年の頃の私はそのように思っていた。

 

ところが、興味本位で読んだ【コナン・ドイルの心霊学】に触れてから考え方が変わった。結構面白かったのだ。

 

コナン・ドイルといえば、あのシャーロック・ホームズの作者なのだが「一体どんな事が書いてあるのか?」といえば、我々の知らない世界…あの世を映写したり、自動書記とか言って「スピリット」と呼ばれる霊的存在が人間の身体を借りて、紙に書いてメッセージを残すとか、まあそんな感じの話。

 

そういうのを実験的な検証を試みた記録を書かれている。

「実験的な検証を試みた記録」…何で私がこんな面倒臭い日本語を使ったのかといえば、書いてある事が100パーセント信憑性があるとは思えなかったからだ。

 

だが、そんな真偽は大した問題じゃない。

なぜか?

 

それは、以下を読んで頂ければ十分に解るからだ。

 

同書で「スピリチュアリズム」という言葉を知った。

日本語では「心霊主義」

 

 

■心霊学から宗教へ

 

ザックリ言ってしまうと【コナン・ドイルの心霊学】は面白い本だったけど、あまり惹きつけられる内容じゃなかった。同書は、心霊学の入門書みたいなもの。この世(地上)とあの世(階層)がどのように繋がっているのかを知る為のもので、それ以上でもそれ以下でもない訳。「だったら、意味ねえだろ」そう思うだろ?

 

ところがどっこい!

 

宗教を知るには、これほどの入門書はないんだよ。

そこから、もう少し突っ込んで「何の為に、心霊学とか自動書記が存在するんだ?」というところまで知りたいと思ったからだ。

 

「シルバー・バーチの霊訓」には、かなり影響を受けたね。

 

一応、全12巻だったかな?

Amazonで購入して、読んでしまったんだけど、コレが面白いのなんの。

全て腑に落ちるんだよ。勿論、編纂した人間の創作って線もあるけど、それならそれで、ソイツは天才だ。

 

ハンネン・スワッハーという人なんだけど、後から調べてみれば、あらゆる宗教に精通した人物だっていう話だ。本当かどうかは知らんけど。


本の内容は、


交霊会の様子が語られていて、モーリス・バーバネルって人が入神(降霊したスピリットに肉体を貸して喋らせたりする)状態になり、彼の身体に宿ったインディアンの霊(シルバー・バーチ)が啓示したとされる内容をスワッハーのもとで編纂したものになっている。

 

凄く衝撃的だった。

内容がスゴすぎた。

 

シルバー・バーチの霊訓を全12巻読んだ後から、斎藤一人さんの啓発書とか、桜井章一さんの人生哲学とかを読んだんだけど…

 

悪いんだけど「物足りねえ」(笑)。

というか、高速道路から一般道に降りたような。「当たり前じゃねえか」と思える内容ばかり。江原啓之さんの言葉なんて、もろにシルバーの受け売りとしか思えない感じ。


 

■シルバー・バーチの霊訓(三)

 

この三巻だったかな?

私の中で宗教というものが理解できたのは。

 

要約すれば、

 

宗教というのは「人としての道」みたいなものだ

 

ということ。

 

例えば、教会へ熱心に通っている宗教の信者がいたとする。偉人のそれらしい教義というかドグマを聞かされて「ああ今日もイイ話を聞けて良かった」と満足気に場所を後にする。で、帰り道の途中で腹を空かして困っている子供がいたとする。

 

でも、そのまんま通り過ぎていく・・・①

 

一方で「自分は無神論者なので、面倒臭いドグマなんてまっぴら御免だ」と思っている少年がいる。で、そこに腹を空かして困っている子供がいたとする。

 

少年はポケットから持っていたパンを出して、食べさせてあげる・・・②

 

シルバー・バーチと呼ばれるインディアンの霊に言わせれば、①よりも②のほうが遥かに宗教的人物という事らしい。

 

ここで私は思ったのだ!

 

宗教団体を持って「あなたも、こんなに素晴らしい先生の教義を聴いてみませんか?」と勧誘したり、会費を求めたり、そういうのはエセであると。

 

結局、そうやって団体つくって活動しているって事は、利益を得たいからだろ?

キリスト教でもカトリックとプロテスタントに分流しているし、仏教ひとつにしても「ブッダはこう言っているとか」「いや、それは違う」とか、色々言ってくる人はいるけど、結局のところ…

 

「それを私に問うて一体何になるんだ?」って話。

手塚ブッダが間違いとか、本流がどうのとかいう人もいるけど、ハッキリ言ってどうでもイイ話であり、大事なのは啓示にどう向き合うかだろ?

 

だが結局は、どいつもこいつも自分の我を押し通しているだけという現実。

創価学会を母体とする公明党だって、無宗教と呼ばれる中国と親交があると報じられていたり、統一教会だって自民党と裏で繋がってたりする。

 

「何で仲が良いのか?」って、んなもん知るか、、、

結局のところ、双方共に旨味があったんだろ。

 

 

■宗教とは何か?

 

それは、自分自身の生き方の指針みたいなものと思っている。

「人に親切にする」でもいいし「社会の役に立つことを全力でやる」でもいい。

 

私の場合は、こうしてブログを書いてるけど、どうせやるなら全力でやったほうが楽しいでしょ?って訳で今に至る。まあ、これでも少しくらいは社会貢献しているつもりだがね。捉えようによれば、これも「宗教」だ。

 

楽しい事は、全力でやらないと味わえないからな。