生者は柔らかく、死者は堅く | 午前零時零分零秒に発信するアンチ文学

午前零時零分零秒に発信するアンチ文学

時事問題から思想哲学に至るまで、世間という名の幻想に隠れた真実に迫る事を目的とする!

どこにでも天の邪鬼な人間はいるものだ。

それが良いか悪いかは重要じゃない。問題は、彼らの言動や考え方が的を得たものかどうかである。でないと、ただの変な人でしかない。

的とは道に通じていることを指す。
人間でいうなら「人道」ということになる。

例えば、常識とは社会によって作り出された最大公約数的な知見や判断のことである。しかし、社会が変われば常識も変わってしまう。だから、そこに我々の進むべく人道というものはないということになるのだが、かといって非常識の中に人道がある訳でもない。

なぜなら、非常識というものは「これが常識だ」と認識するものがあるからこそ、はじめて判る訳である。従って、非常識も常識も、それを決めている出所は同じものなのだ。

岡本太郎が「君は常識人間を捨てられるか?」と問いかけていたが、これはこういうことだ。常識というものを人道から観た場合、それはひとつの解答でしかない。つまり、大きな湖にある小さな石ころみたいなものだからだ。

ところが、常識は人を洗脳し、支配しようとする。なぜか?

それは我欲に満ちた連中によって作られた世間がそうさせているからだ。学校の試験から始まり、「お前ではダメだ」とか「君はこうあるべきだ」とかいう風に心を束縛していくのだ。そして、世間のロボットを生産していく。

ロボットになってしまった者も、そのほうが居心地が良いからつい染まってしまう。思考は奪われ、自分自身の価値も解らなくなっていく。生活こそしているものの、俗物となり、生命力も失われていく。

少し話を変えよう。

高校野球で沖縄の興南高校が春夏連覇した時のチームをずっと観ていたが、とても気持ち良かったのを覚えている。戦力云々というよりも、これぞ野球という感じがしたからだ。飛び抜けた才能のある選手はいなかったが、ピッチャーの島袋、三塁手であり主将でもある我如古を中心に足並みがそろっていた。

「雨が降ったら、なんで練習できないの? ゴルフ場行ってみたらいいさ。喜んでゴルフやってるよ。しかも高いお金払って。お百姓さんだって田植え、やめないよ。そもそも沖縄の子、雨降ったって傘ささないんだから。風邪、引きませんか? って言うけど、おまえらプールだって、海だって入るだろ。

後をちゃんとすれば、そんなに簡単に風邪なんて引かないんだよ。グラウンドがガタガタになる? バカヤロー、余計な心配するなって。ならしゃ、いいんだよ。駒大苫小牧はマイナス十何度でも外でやってるよ。雨なんて、なんでもないよ。雪の代わりに泥があるだけじゃない」
WEBRONZAより抜粋)

上記は、我喜屋優が興南高校の監督に就任した当時の様子だったらしい。

記事のタイトルは「非常識を常識に」とあったが、正確には「常識に囚われない」である。常識とは自我の安定を与えてくれる反面、自由を奪ってしまうのだ。この場合は、思考の自由である。上記に出てきた北海道の駒大苫小牧高校も全国制覇する6年前に我喜屋から影響を受けていたという。雪が降ってグラウンドが使えないと香田監督がいえば「どければいいじゃないか」といわれたそうだ。

松下幸之助は創業するなり、会社を急速に発展させていった。彼が松下電器の会長になった頃、一人の新聞記者が訪ねてきた。「あなたの会社は、どうしてこんなに早く大きくなれたのですか。何か秘訣でもあるのですか?」と。

幸之助は逆に質問する。

「君は雨が降ったらどうするかね?」

記者は何か特別な答えを予想していた。
しかし、その答えが一体何なのかは全く分からなかった。

傘をさすんだよ

幸之助は続ける。

「傘がなければ一度は濡れてしまう。それは仕方がない。ただ、雨があがるのを待って、二度と再び雨に濡れない用意だけは心がけたい」

何も特別なことは言ってない。とてもシンプルな答えだ。しかし、常識に支配されてしまうと、それも解らなくなってしまうのだ。堅固になってしまう。それでは、生きていける力が身につかない。

人間も動物も植物もそうだが、生きている時というのは、柔らかいのだ。しかし、死んでしまえば、どんなに柔らかだったものも堅くなってしまう。挙句の果てには、脆くなって崩れ去るのである。

では、最も柔らかい時って、いつだか解るだろうか?

それは「赤ん坊」の時だ。世間にも何にも染まってないから柔らかいのだ。泣き声もエネルギーに満ちているし、想念なんて何もない。笑いにも作為がない。だから、一緒にいる人間まで癒される。

赤ん坊は特に何もするわけではないが、ちゃんと道の上に立っている。我々もまた、常識に囚われず、流れに任せていれば心の束縛から解放される。

本来あるべき道に戻れるのだ。

ペタしてね