1月17日
阪神淡路大震災から16年
関西人の僕にとっては、忘れられない日です。
6434人の命を奪ったあの日
当時務めていた会社に2人神戸在住の方が居られ
交通機関が途中までストップしていたので
西宮市~芦屋市~神戸市を国道2号線沿いに
6時間以上歩いて救援物資を持って行きました。
2号線沿いの家はほとんど倒壊しており
救助隊が折れ曲がった遺体を運び出す光景を
目の前で見てショックでした。
芦屋に住んでいたいとこの家も1階部分がつぶれ
すでに非難した後でした。
その後得意先もあったので何回か歩いて往復し
手伝いに行きました。
あの時の記憶は、
一生忘れられない、忘れてはいけない記憶です。
”BISONS バイソンズ” 誕生!

2001年、大学の2年後輩がチームを創り
プライベートリーグに加盟しようとしていたので
”どうせならいっしょにやろう!” と声を掛けました。
そのチームの中には、関西大倉高校の2年後輩もいました。
あと近畿大学の水泳部、
剣道部出身者も・・・
リーグからオファーがあった者もいました。
お互いにチーム名があったのでどうせ合併するなら
チーム名を改めることにメンバーからチーム名を募集し、僕が提案した
「BISONS(バイソンズ)」
が多数決で採用になりました。
翌年、2002年には大学の同期
(Xリーグパナソニック電工でプレーしていた者もいました)
その同期の大阪産大附属高校時代の同期で
東海大学⇒レナウン⇒アサヒ飲料ワイドジョー出身の
QB(クォーターバック)
彼は、学生時代からトリプルオプションの天才
あと日本体育大学、桃山学院大学、浪速高校、箕面自由学園高校
池田高校、アサヒビールシルバースターズ出身者と多数入部してくれました。
マネージャーと専属トレーナーさんも入り、
経験者が多数入ったからと言って強くなる訳ではありません。
気持ちをひとつにすることが大事
”楽しくやるならまず勝たないと面白くない
優勝出来るチームにしよう”
皆の今までの経験を結集し、ひとつに作り上げて行きます。
スカイドラゴンズ最終期!!

1997年より春季トーナメントの試合形式が変わりました。
トーナメント戦なので下位のチームは、1試合しか出来ないと
物言いが入り、上位チームをゴールドカップ(リーグ戦)、
下位チームをシルバーカップ(トーナメント)と名付け
2つに分けました。
「スカイドラゴンズ」は、ゴールドカップに出場!
チームは、準優勝も出来なくなっており、
途方に暮れてました。
秋季リーグは、何度か大阪2位になり
西日本トーナメントに出場(大阪1位と2位が出場権)
決勝までは、遠かったです。
しかし、チームは相変わらずメンバーもその知人も含め
明るく仲が良かった~
翌朝の始発まで飲み明かすぐらい
下の写真がそれを物語ってます。
僕は、この写真を1999年の年賀状に使いました。
その後、学生は就職、社会人は転勤・体力の限界などで
退部が続き、部員数も減って行きました。
そんな中、1999年20世紀最後の年にビッグチャンス!
人数が減った「スカイドラゴンズ」は、より団結力が高まり
技術だけでなく気持ちで前へ進み
秋季リーグ戦大阪リーグ2位
西日本トーナメントに出場
そしてその団結力で僅差の試合を勝ち取っていき
念願の決勝戦を迎えることになりました。
相手は、京都の強豪!
過去、何回も西日本優勝を果たしている強敵です。
試合は、取られたら取り返す接戦に・・・・
終了のホイッスル
同点
ルールでタイブレイクになり、「スカイドラゴンズ」の先攻
FGで3点 相手の攻撃3rdDownまで追い込みますが
4stDownに投げたパスが
”TOUCH DOWN” 負けました~
念願の夢が叶う手前までやっと来れましたが・・・
翌年、2000年春季ゴールドカップで準優勝
「スカイドラゴンズ」は、2000年で幕を降ろし
次のステップへ走り始めました。