長崎開港!! | おおむら再興研究所

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自然に恵まれ、いにしえより長い歴史を紡ぐ大村。その輝きは戦国時代、そして幕末と全国に存在感を誇っていました。
それからおよそ100年余、その大村を再び興したい。もう一度このまちを見つめ直し、少しでもあの輝きを垣間見れたらと、思うことを綴っています。

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大村純忠の南蛮貿易の始まりは、平戸でトラブルがあったポルトガル人の要請に応じて自領である横瀬浦を解放したことだと言われています。

純忠はこの時すでに南蛮貿易のメリットを理解していたとうかがえます。

しかも、経済的基盤を欲していた純忠はこれを活用する以外なかったことでしょう。

が、事件は起こりました。

純忠が養子に来たことで本来大村家の家督を継ぐはずだった、後藤貴明によりこの横瀬浦が焼打ちにあいます。

これには、純忠のことを快く思わない家臣も加わっていたと言われています。

当時の純忠が置かれている環境がいかに厳しいものであったかがわかるエピソードです。

かくして、横瀬浦を失った純忠とポルトガル人。

彼らは次の港として福田を利用します。

しかし、ここは港としては地形上良好とは言えませんでした。


そこで目をつけたのが長崎でした。

長崎は当時ただの寒村だったと言われています。

しかしこの港は細く長く入り込んだ地形と、大型船も寄港できるほどの水深がある事がわかり早速開港に取り掛かります。
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こうして、僕の生まれ故郷である港町長崎が誕生したのです。

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