大村純忠の苦悩 | おおむら再興研究所

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自然に恵まれ、いにしえより長い歴史を紡ぐ大村。その輝きは戦国時代、そして幕末と全国に存在感を誇っていました。
それからおよそ100年余、その大村を再び興したい。もう一度このまちを見つめ直し、少しでもあの輝きを垣間見れたらと、思うことを綴っています。

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大村市と言えば大村家。

前回大村家のルーツについて見てみました。


1000年近く歴史がある名家。

故の悩みがありました。


歴史が長い分親族もそれなりに多く、代々領地をわけるうちに直轄地が相対的に小さくなってしまっていました。


その問題に取り組んだのが、純忠・喜前親子でした。


特に純忠はかつての敵である有馬からの養子です。

譜代の家臣もはじめは信頼できません。

時は戦国乱世。

下剋上もあっておかしくない乱世でした。

しかも周りには大村の地を虎視眈々と狙う諸勢力。

家内の統制がとれないことには次から次に襲い来る危機に対応できません。

老臣によるクーデターもありました。

大村親族は政務に口を出してきます。


そんな純忠が幸運だったのは南蛮貿易の機会が訪れたこと。


当時、大名でありながら異教に改宗するなど、冒険もいいところだったでしょう。

しかし、純忠が置かれた状況はそれしかなかったと言えます。
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かくして、多大な犠牲を払いながらも純忠は洗礼を受けるのです。

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