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(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

哲学エッセイ

って紹介文に書いてあって

あんまり聞き馴染みのない表現だなと気になっていたけれど

まさに哲学エッセイだった。

 

哲学の雰囲気が好きで

よくそういった系の本を読んでいる。

 

専門書には手が届かないけれど

入門書というか

初心者向けの入口本みたいなものをよく読んできた。

 

たぶん20冊以上はそういう本を読んだことがある。

 

有名な哲学者の名前はなんとなく知っているが

具体的にどういう哲学を提唱したかは記憶に怪しい。

 

カントの生真面目さとか

ニーチェの自己肯定とか

ソクラテス(プラトン)の一途さとか

アリストテレスのバランス感覚とか

サルトルの斜に構えた感じとか

そういう雰囲気をじぶんなりの解釈でもって抱いている。

 

永井玲衣さんのこのエッセイも

文学的で詩的でとても好み。

 

あたりまえのことについて疑問を抱いて考えるこどもが

そのまま成長したみたいな感じ。

 

ふわふわにょろにょろしていて

確固たる哲学なんてものからは遠く離れている。

 

とても柔らかい。

 

こういうことばたちに救われるとか

背中を押してもらえるとか

そういう種類のひとは

この社会には多いんじゃないかな。

 

哲学対話にはぼくも興味があって

参加してみたいな

って思うんだけれど

自意識が邪魔して参加できない。

 

ガス抜きの場みたいになりそうで

警戒感もある。

 

哲学対話から

なにか具体的なアクションに進んでくれなければ

意味がない

という気もするし

哲学対話そのものが目的であってもなんら問題はない

という気もする。

 

永井玲衣さん自身は

坂本龍一さんの意思を継いだ

D2021

でも活動されているようだけれど

どういうふうにこれからやっていくのか

予断をせずに注目していきたい。

 

哲学者には時代や社会の閉塞を打ち破る哲学の提唱を

ついつい期待してしまうけれども

そういうのはじぶんで考えろ

っていうことだとも思っているので。

 

 

--水中の哲学者たち--

永井玲衣

きっと酒で大失態をやらかしたとか

体調を崩したとか

仕事に支障を来したとか

そういう理由で酒をやめたんだろうな

と想像して読み始めたら

狂っていたからやめた

という主張で

ほっほう

と唸った。

 

何か利得を得るためにあるいは損失を避けるために酒をやめる

ではなくて

酒をやめたら結果として利得を得たり損失を避けたりできた

ということらしい。

 

これはなるほど新しい発想だ。

 

ぼくじしんは

まあたまに二日酔いに悩まされたり

人生で何回か大失態をやらかしたり

(たまたま事なきを得たけれども

死んでいたり大事件になったりしても

おかしくないようなこともある)

そういうことはあることにはあるが

毎日酒を飲むわけではなく

たまに飲んでも家では缶ビール1本程度なので

かつての町田康さんのようなことにはなっていないが

それでもしらふのときの頭のクリアな感じは好きなので

しらふでたのしみたいことはしらふでたのしむようにしている。

 

読書なんかもしらふでしないと

酔っているともったいない気がする。

 

この本じたいは

まるでツァラトゥストラはかく語りきみたいに

思考の旅が味わえる。

 

禁酒したいひとには

お薦めできないかもしれない。

 

 

--しらふで生きる 大酒飲みの決断--

町田康

弱いひとが社会的に強いっていうのは

多くのひとに刺さるテーマだよね。

 

弱いひとのカバーをしないひとは

なんとなく社会的に責められる感じっていう。

 

個人的には

弱いひとが弱いなりに頑張っているならば

そこは認めようよ

って思うけれど

弱いひとがその弱さを武器に

している感じを感じたら

いやちょっと待ってそれは違うんじゃない?

って思う。

 

この小説のなかでいえば

押尾さんや二谷さんが

弱いひとに意地悪をするのは方法論としても間違っているし

芦川さんが

弱さをカバーするために手づくりのお菓子を同僚に振る舞う

っていうのは違うと思う。

 

そういうことじゃないだろう

って。

 

マネジメントでいうと

上司にあたるひとたちの動きが良くない。

 

支店長は職場で起こっていることに気づいていないし

藤さんはカバーするひととカバーされるひとの

両方の立場のひとに配慮しなければいけない。

 

でも実際の現場でもこれに近いことはよくある。

 

できるひとがカバーしてあげないと

っていう雰囲気。

 

ワークライフバランス的にいうと

子育てや介護のあるスタッフのカバーを

それ以外のひとたちがするっていう業務体制はよくない。

 

それ以外のひとたちの負担にならないように

業務体制を組むようにしないと

士気が下がる。

 

それにしても

二谷さんは

ここまでの嫌悪感を抱きながら

どうして芦川さんと付き合えるのかぼくには謎。

 

この気持ちがわかるひとに

どういうことか教えてもらいたい。

 

あと

芦川さん的な立場のひとが

この作品を読んだらどう感じるのか知りたい。

 

じぶんのこととは感じなかったりしそう。

 

それからこれは話をおおきく捉えることになるけれども

会社のなかだけじゃなくて社会の問題として考えると

社会的弱者のひとたちへのケアを進めていくと

社会的弱者には括られないけれども

実際には負担が重くのしかかっている層のひとたちが

不公平感を抱くっていうことにも通じる。

 

だから

弱者のケアをすることはだいじだけれど

それ以外のひとへのケアを同時にしないといけないっていうことを

忘れてはいけない。

 

 

--おいしいごはんが食べられますように--

高瀬隼子