弱いひとが社会的に強いっていうのは
多くのひとに刺さるテーマだよね。
弱いひとのカバーをしないひとは
なんとなく社会的に責められる感じっていう。
個人的には
弱いひとが弱いなりに頑張っているならば
そこは認めようよ
って思うけれど
弱いひとがその弱さを武器に
している感じを感じたら
いやちょっと待ってそれは違うんじゃない?
って思う。
この小説のなかでいえば
押尾さんや二谷さんが
弱いひとに意地悪をするのは方法論としても間違っているし
芦川さんが
弱さをカバーするために手づくりのお菓子を同僚に振る舞う
っていうのは違うと思う。
そういうことじゃないだろう
って。
マネジメントでいうと
上司にあたるひとたちの動きが良くない。
支店長は職場で起こっていることに気づいていないし
藤さんはカバーするひととカバーされるひとの
両方の立場のひとに配慮しなければいけない。
でも実際の現場でもこれに近いことはよくある。
できるひとがカバーしてあげないと
っていう雰囲気。
ワークライフバランス的にいうと
子育てや介護のあるスタッフのカバーを
それ以外のひとたちがするっていう業務体制はよくない。
それ以外のひとたちの負担にならないように
業務体制を組むようにしないと
士気が下がる。
それにしても
二谷さんは
ここまでの嫌悪感を抱きながら
どうして芦川さんと付き合えるのかぼくには謎。
この気持ちがわかるひとに
どういうことか教えてもらいたい。
あと
芦川さん的な立場のひとが
この作品を読んだらどう感じるのか知りたい。
じぶんのこととは感じなかったりしそう。
それからこれは話をおおきく捉えることになるけれども
会社のなかだけじゃなくて社会の問題として考えると
社会的弱者のひとたちへのケアを進めていくと
社会的弱者には括られないけれども
実際には負担が重くのしかかっている層のひとたちが
不公平感を抱くっていうことにも通じる。
だから
弱者のケアをすることはだいじだけれど
それ以外のひとへのケアを同時にしないといけないっていうことを
忘れてはいけない。
--おいしいごはんが食べられますように--
高瀬隼子