遠野物語 柳田国男 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

日本人の必読書

みたいな感じだとは思っていたが

機会がなくて読めていなかったところ

去年ようやく読んだ。

 

これも最近の

新しい作品よりも昔の作品を求めるぼくの気分

が反映しているのだろう。

 

100年ちょっと前の岩手のことだけど

おそらくまだまだわからないことが多かった時代だろう。

 

作中に出てくる異界人めいたひとたちは

かつてロシアや現在の北海道方面からやってきたひとたちの末裔のような気がする

(地名にはアイヌ語の名残が多く残っている)し

雪女や河童などは

現在では何らかの精神的な疾患と分類されるような特性の持ち主だったような気がする。

 

神秘めいた風習や信仰は

ファンタジーではなく

ひとびとのリアルな生活にフィットしていたと思う。

 

別に100年前のむかしのことっていうわけじゃなくて

いまでも自然にこういう発想は残っているだろう。

 

それをスピリチュアルと呼ぶひともいるかもしれないけど

スピリチュアルは変な商売と結びつかなければ

けっしておかしいことではない。

 

怪異なもの

不慣れなもの

畏怖の対象

を排斥していった先に現在の荒涼とした人間社会がある。

 

いや

水木しげるしかり

小泉八雲しかり

漫画やアニメなどの創作物には

現在も連綿と遠野物語とおなじ精神は引き継がれている。

 

日常にある異界との接点の感覚はすごくだいじ。

 

ところで

三島由紀夫がこの作品の

「裾にて炭取にさはりしに、丸き炭取なればくるくるとまはりたり」

という件りに

「あ、ここに小説があった」

と三嘆これひさしうしたのは

なるほどたしかに描写のちからではあるが

はたしてこの表現は

柳田国男のものなのか

あるいはこれを語った者のものなのか。

 

 

 

 

--遠野物語--

柳田国男