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(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

うーわっ なにこれ ちょっと まじで 刺さりますから

 

ぜんぜんそんなつもりで読み始めたわけではなかったのだが

めちゃくちゃこころに刺さってきて

涙が声とともに流れっぱなしだった。

 

主人公の永田はほんとうにひどいやつで

身勝手で

そんな永田のなにに沙希ちゃんが惹かれたのだろう

ってずっとむかむかもやもやしながらページをめくった。

 

たしかに永田のやりたいことや言いたいこともわかるけど

青山の批判ももっともだ。

 

そんな青山に対する永田の仕打ちもあまりにもだ。

 

演劇に魅入られるとそういうことになってしまうのか。

 

永田の言い分は理屈が過ぎるとは思うが

演劇をこころざすひとにとっては

きっとだれもが一度は考えたことであって

それを貫くことの無意味さを感じたり

無理だと諦めたりして

その後の自分の身の振り方に

なにかしらの折り合いをつけていくことになるんだろうな。

 

青山だって永田に認めてもらいたかったに違いない。

 

それを永田も知ったうえで

でもそんな青山という人間の考え方が死ぬほど嫌い

だったんだろうな。

 

青山も永田の自分への嫌悪というものが

少なからず的を射ていることもわかっていて

だからこそ余計に自尊心が傷つけられ憎悪が膨らむというか。

 

そんな心理描写が痛々しくて生々しくて刺さる。

 

沙希ちゃんの話に戻るが

永田目線でなく

沙希ちゃん目線でこの小説が描かれたら

どんなことになるんだろうな

と思った。

 

永田目線だけだと

男性の都合による女性の理想化

になってしまっている疑念があるから。

 

といっしゅん思ったが

でも沙希ちゃん目線だと小説にはならないんだろうなとも思った。

 

だって

こんなに朗らかで献身的な女性って

苦悩や葛藤がなさそうだから

小説には向かないんじゃないかな。

 

だがしかしそうではなかった。

 

きっちりと沙希ちゃんのことばによってあらわされる。

 

ああそういうことか。

 

ただたんに

モラハラ男の呪縛にかかって

マインドコントロールされて

抜け出せなくなったというわけではなかったんだ。

 

永田はほんとうにひどいやつだけど

でもそれは演劇に真剣に向き合っているからであって

堕落しているときがあるとしてもそれは

演劇に向き合うなかでの堕落で

沙希ちゃんへの裏切りとかそういうことはなかった。

 

沙希ちゃんがあんなふうに永田を支えるのも

十分あり得る。

 

彼らの人生はこの小説のあとも続くのだが

それがしあわせなものかどうかはわからない。

 

ところで

なんか読みながら

永田という人間が

又吉さんがふだん語っている太宰治の姿に重なってみえたのは

ぼくの気のせいだろうか。

 

 

 

 

 

 

ここからは再読したあとの追記

 

あまりにも感情に刺さったので再読した。

 

表現がやっぱりいいなあと思った。

 

永田とか青山とかは

もしかしたらぼくのことなのではないか

ってくらい考えていることや言っていることが理解できた。

 

これって

太宰好きのひとが太宰の作品によく感じるあれ。

 

永田と沙希の会話のセンスがいい。

 

特にたのしくふざけ合ってるときなんか。

 

最高のふたり

って感じ。

 

でも傷つけるときのことばなんかは

相手を理解しすぎているせいで

破滅的なきつさになるんだよね。

 

なんでも正直に言えるっていうのは

甘えだと思う。

 

そういう関係にはあこがれるけど。

 

永田の演劇論も理屈っぽくていい。

 

でも

そういうのを軽々と超えていく小峰。

 

永田の小峰への気持ちの変遷。

 

小峰を認める沙希への永田の嫉妬心。

 

沙希はけっしてそんな気持ちではないのに。

 

嫉妬っていうのは羨望とうりふたつ

っていうか同じものを違う表現で言っているだけだから。

 

おれとやつのちがいは?

って感じ。

 

でも男ってやつは

好きな女性がほかの男を褒めるっていうのをきくのが

ものすごく嫌な生き物だから。

 

そう感じることが自分の器の小ささを認識することになって

いたたまれなくなるから。

 

そういうのを女性は知っておいてほしい。

 

女性はふつうに褒めているだけだとしても

男はものすごく傷つけられてるんだよって。

 

野原のさりげなさがいいなあ。

 

なんだろうあの裏方でいきいきとしている感じ。

 

こういうひとときどきいるよね。

 

どちらかというと

永田とか青山みたいに自意識が過剰になるひとの方が

多いんだけど。

 

永田と青山の確執。

 

これは永田と沙希との関係の別バージョンであるともいえる。

 

理性的であることを装ったむきだしの感情のぶつかりあい。

 

青山のモデルが自分なのではないかと感じている表現者って

けっこうたくさんいるんじゃないかな。

 

それくらい表現者にはありそうな人物。

 

作品全体を覆う

繊細に鋭く尖ったむき出しの神経。

 

自分の中にある愚かで残酷な感情を

こうやって文章に落とし込まれると

つらい反面

救われる気もしてくるのが不思議。

 

それにしても沙希ちゃんがめちゃめちゃかわいい。

 

小説のなかの登場人物なのに

恋してしまう。

 

だからこそ

沙希ちゃんが壊れていくのがつらかった。

 

まるで

智恵子が高村光太郎のせいで壊れていくみたいな印象をもった。

 

最後のふたりのやりとりでは

再読なのにまた感情が揺さぶられた。

 

永田のあのもがきも

青春の熱い光。

 

劇場は

激情でもあった。

 

 

 

 

 

--劇場--

又吉直樹

  やがて、もうすぐ目的の駅に着くというアナウンスが流れてきた。隣の座席に置いていた荷物を抱えて立ち上がる。そしてドアに向かって振り向くと、しかしそこにはまだ男たちが立っていた。

 双子かと見まごうほどにうりふたつの黒いスーツの男たち。どちらも背が高いが痩せすぎている。そしてあきらかにこちらを見ている。

 ひとりの男が言った。

「あなた、さきほど電車に乗る前に駅でこの茶封筒を捨てましたね?」

 男はやにわに見覚えのある茶封筒を鞄から取り出した。あの茶封筒だ。しかしなぜこの男が持っているのか?

 答えないでいるともうひとりの男が口を挟んだ。

「これはあなたには必要なものです」

 喫茶店で出会った女性と同じく一方的で断定的な口調。いったい何なんだ。

 しかもこのふたりは敵対する組織の構成員だ。もしやこちらのことを知っているのか?

 そうだとすると厄介だぞ。身分がばれているのなら、ただでは済まないだろう。このまま拉致されるか、あるいは消されてしまうかもしれない。

 電車が駅に着いた。すばやく男の手から茶封筒を受け取って、緊張しつつ男たちの前をすり抜け、ドアに向かった。

 しかし男たちは、妨害するでも追いかけてくるでもなく、ただその様子を見ているだけだった。

 ドアが閉まり、電車が出発した。ホームから、動く電車を目で追いかけていると、男たちがさっそく運転席の後ろの例の特等席に座ろうとしているのが見えた。よほどあの席に座りたかったのだろう。

 結局、男たちからは何も危害を加えられることはなかった。ただ、こちらの手元にはなぜかあの茶封筒が戻ってきていた。

 走り去った電車のあとの空には重い灰色の雲がさらに厚く広がっていた。

  といっても彼らの組織が自ら大々的に組織を名乗ってこれらの活動をおこなっているわけではない。組織の全貌はごく少数の幹部を除いてわからないことになっている。

 彼らの組織は数多くのグループに分かれており、さらにその各グループは細かく枝分かれし、そして各グループ間の横のつながりがないうえに、他のグループがどのような名称でどのような活動をしているのかも知らされていない。

 実際の活動の現場では共同で作業していることがしばしばあるのだが、お互いに同じ組織であるとはわからないようになっているのだ。

「それにしてもこのカシオペア#1は見れば見るほど魂が吸い込まれるようだな」

「それはそうだ。この箱は宇宙を模した美しくてセンチメンタルな箱庭のイメージで捉えられているが実際はそんな抽象的なものではなく、もうひとつの宇宙そのものをこの箱のなかに封じ込めているのだからな。ひとたびこの箱を開けてしまうと、中の宇宙と外の宇宙とが交じり合い、外の宇宙、つまり我々がいまいるこの世界は消えてなくなってしまうということらしい。だからこそ魂が吸い込まれそうな感覚に囚われるのだろう」

「恐ろしい箱だな」

 二本の銀色の金属の棒の上を転がる白い球体、背後には濃紺の星図。あの作品は国立の美術館で見たことがあるが、宇宙そのものだというのか。そんな重要なものを、たったのふたりで、しかも電車なんかで運んでいて大丈夫なのだろうか?

 そんなことを考えていると、いつの間にか男たちの声は聞こえなくなっていた。どうやらほかの車両にでも移ったのだろう。しばらく前方のレールの流れに視線を預ける。風景を割いて進んでいく。