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(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

文庫化を機に再読。

 

ぼくのなかで百年の孤独は

全編を通して体感させられる熱帯の蒸し暑さ

アウレリャノ・ブエンディア大佐の脇の下のリンパの痛み

が強烈に印象に残っていた。

 

再読してみたら

それほど蒸し暑くもなさそうだし

アウレリャノ・ブエンディア大佐の脇の下のリンパの痛みは

それほど印象的なポイントでもなさそうだった。

 

読書体験というのは不思議。

 

読書体験の不思議といえば

細部の内容をほとんど覚えていないのに

再読した箇所は確かに読んだことがあるのを思い出し

しかしその続きはなにも思い出さないので

初読のときと同じような新鮮な感覚で読めたこと。

 

ほんとうに不思議。

 

初読のときは

百年の孤独

というタイトルの意味があまりよくわからなかった。

 

ひとりひとりの登場人物があまりに個性的で波乱に富んでいるので

孤独という言葉がしっくりこなかったからだ。

 

いまならよくわかる。

 

ものすごい戦いを経験しても

ものすごい贅沢な暮らしをしても

どれだけ男女のまじわりをしても

どれだけ家族のことを思っても

他者と世界を共有できない孤独というのがよくわかる。

 

一族にウルスラがいてくれてほんとうに良かった。

ウルスラがいなかったらこの一族はばらばらになっていただろう。

 

それにしてもこの小説は

世界のすべてを描いていると思う。

作者は40歳手前でこれを書いているんだけど

世界と人間のすべてを知り尽くしているよう。

 

あらすじだけを物語にしても圧倒されると思うけれど

文章がまたいい。

一文一文が実に詩的。

じっくり読むと

よくこんな文章が書けるなと溜息が出る。

 

これぞすばらしい読書体験!

 

途切れなく続く世界。

途切れなく続くひとびとの人生。

 

知識層が読むのではなく

市井のひとびとがみずからの人生と重ねて読む

っていうのがいい。

 

だれもがかつて見聞きした身近な物語の連続。

誇張された人間の営みは

古事記やギリシア

ローマなど全国に残る神話と同じだ。

 

人間には神話が必要。

 

巻頭の

ブエンディア家家系図はめちゃくちゃ便利だけど

ネタバレといえばネタバレなので

できるだけ先の部分は見ないで

過去を思い出す時にチラ見するくらいにして

混沌を混沌のまま

わからないなりに読み進めることをお勧めする。

 

そして

ブエンディア一族それぞれの人物の

産まれた(登場した)ページと死んだ(退場した)ページを

メモっておくこともお勧めする。

 

死にも退場もしなかった人物がいそうな気がする。

 

ここまで書いて初読のときのブログを読み返したら

同じような感想を抱いていて笑える。

 

百年の孤独

 

ぼくの感覚も途切れなく続いているようだ。

 

ところで

作者も自覚しているように

この作品には多くの矛盾や錯誤があるらしいが

そもそも虚実がシームレスにないまぜになっている文体なので

そんなことはまったく気にならないし

それも含めての世界観といえる。

 

あまたある他の壮大な作品たちと同じように

矛盾や錯誤をものともしない。

 

重箱の隅をつつくのは野暮なことだ。

 

ちなみに

記念すべき文庫版の解説は

筒井康隆御大。

 

ご愛嬌ではあるが

解説文中に挙がっていた

マルケスの「族長の秋」

そして

大江健三郎の「同時代ゲーム」

筒井御大の「虚構船団」

はぜひとも読まなければ!

(井上ひさしの「吉里吉里人」はすでに愛読書です)

 

 

ーー百年の孤独ーー

G・ガルシア=マルケス

鼓直 訳

町田康さんの歌集を読んだ。

 

荒々しい悲しみ。

 

町田康さんの小説に通じる短歌が並んでいた。

 

好きな歌をいくつか。

 

知り合いに水だけ出して帰らせてその後わがは薄茶のむなり

 

もはやもうなにもしないでただ単に猫を眺めて死んでいきたい

 

日歸りで入浴したい俺たちは既に裸で歩みをるなり

 

阿呆ン陀羅しばきあげんど歌詠むなおどれは家でうどん食うとけ

 

落武者に飯見せつけて食わさんと棒で殴って服と銭取る

 

木下とたった二人でだんじりをやった苦しみ誰が知るのか

 

ふざけるなおまへそれでもうどん屋か先祖代々俺は石屋だ

 

人の為うどんを作る歳月に別れを告げる午前二時頃

 

東京のお金持ってる人たちは短歌作って遊び暮らすか

 

 

 

 

 

--歌集 くるぶし--

町田康

冒頭の女性三人のやりとりがいけず過ぎて

なんだこりゃ

って感じだったのだが

読み進めていくうちに

主人公の菖蒲(あやめ)の魅力が心地よくなっている。

 

菖蒲の夫に近い慎重派のぼくにとっては

菖蒲のぐいぐい楽しみに向かって突き進んでいく姿は

あまりに危なっかしくて心配だけれど

羨ましい気持ちもある。

 

そこまで快楽を優先できるメンタリティってすごい。

 

現実世界にもこういうひとをときどき見かける。

 

実際コロナに何回もかかったり

酷い目に遭ったりもしているけれど

それでも反省することなく

むしろこのくらいなら大丈夫と経験値を上げて

快楽追及にまい進する。

 

パワフル。

厚かましさ図々しさっていうのも

生きていくうえでは必要だよね。

 

作者の綿矢りささんは

たぶんこんな感じのひとじゃないような気がするので

そのなりきり感っていうのがすごいと思う。

 

的外れかもしれないけれど

読みながら

サリンジャーのライ麦畑や太宰の女生徒のイメージが

よぎった。

 

ラストの菖蒲の決意は

きっとどこかで破綻するだろうけれど

おもしろいから支持したい。

 

ちなみにぼくも

じぶんの脳内で幸福を完成させる技術に取り組んでいる。

 

これってエコ。

最強の錬金術。

 

あと単純に

コロナ禍の北京の暮らしぶりや

生活、文化がこれでもかと描かれていて

ちょっとした滞在感覚も味わえた。

 

食べることの魅力がまじであふれていた。

 

じぶんの街を外国人にこんなふうに表現してもらえたら

かなりうれしいし興味深いと思う。

 

ぜひ北京のひとたちにも読んで欲しい。

 

 

 

--パッキパキ北京--

綿矢りさ