(本好きな)かめのあゆみ -27ページ目

(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

副題は

説得力と影響力の科学。

 

著者は認知神経科学の教授。

 

途中まで男性だと思って読んでいた。

 

自らの偏見が恥ずかしい。

 

数字や統計や科学的根拠が

必ずしも(どころかほとんど)ひとを説得する際に役に立たないことを

実生活において繰り返し経験しているので

つねづね

これはいったいどういうことなんだろう

あいてのひとはばかなんだろうか

と訝っていたのだが

じっさいにはぼくよりも頭の良い人に伝わらないことも多く

自分の伝え方の未熟さを嘆きつつ

でもやっぱりこれは

人間の動物的なメカニズム(習性)によってこういうことになるのではないかと

うすうす感じていたこともあって

この本に書かれていることは

ひとつひとつじつにうなずけるのだった。

 

あらかじめひとが持っている先入観を変えるのが困難な理由

(経験によって獲得した「事前の信念」を変えない習性)

感情によって歪むひとの知性

(扁桃体を始めとした原初的脳の働きを直接刺激されると引きずられる習性)

快には近づき不快からは遠ざかりたいメカニズム

(ひなの実験「近づくと餌が遠ざかり遠ざかると餌が近づく仕組みを覚えられない」習性)

主体的に行動させることの効用

(自分でコントロールしている感覚に安心する習性)

好奇心の活用

(情報は生存において水や食料と同じ価値を持っていた時代の習性)

ストレスやプレッシャーが判断に与える影響

(ストレスやプレッシャーのある状況ではより優先的な情報のみで判断する習性)

他人の影響

(自分で決めていると思っていても実際は多数者の判断に引きずられる習性、感情が周囲に伝染する習性)

などについて

わかりやすいエピソードや実験

語りによってまとめられていて

好奇心がくすぐられた。

 

実験もけっしてあたらしいものばかりではなく

かなり前の実験もあるから

このへんの疑問はいまもむかしも変わらずにあるということだろうが

インターネットをはじめとするコミュニケーション技術の発展に伴って

加速度を増しているんだろう。

 

人間は動物の一種であるから

簡単には乗り越えられない習性があることを忘れてはいけないし

自分に自覚がなくても自分の思考はバイアスだらけで

いろいろなものに引きずられているということも意識しておかないといけない。

 

それから

情報を得ることが水や食料を得ることと同じ価値として

脳に捉えられているということから

インターネットの情報をやたらと集めてしまう行動の理由がわかる。

 

ネットサーフィンをするのは

おやつを食べているのと同じってこと。

 

1回読んだだけですべてを覚えることはできなかったけど

この本の内容を自分のものにできたら

さぞかしひととのコミュニケーションに自信が持てるだろうし

自分の生活のコントロールもうまくいくだろうと思う。

 

いろいろ試行錯誤してもぜんぜん解決しない問題は

このアプローチで試してみると展開が全然違うかもしれないと思う。

 

もっとも

最終章で語られる未来像には

マッドなサイエンスの印象が濃厚で

ぼくにはまだ受け入れられない気がするし

この本の内容を悪用しようとすればできるので

取扱注意とも感じた。

 

ただし

編集部が最後に引用しているように

「蛇と戦うには、その毒を知らなくてはならない」ので

人間を操ろうとするひとびとや

対立をあおろうとするひとびと

フェイクを信じさせようとするひとびとと

戦うための知恵として持っていたい知識であるのは確かだと思う。

 

 

 

 

 

--事実はなぜ人の意見を変えられないのか--

ターリ・シャーロット 著

上原直子 訳

島田雅彦さんの作品に初めて出合ったのは

ぼくがちょうど20歳になる頃。

 

当時ぼくが猛烈にアプローチしていた1歳年上の女性から

あなたならきっと気に入るはず

といって薦められたのが

僕は模造人間

だった。

 

僕は模造人間

ってタイトルの小説を薦められるぼくっていかがなものか

と思ってもよさそうなものだが

薦められたときにはただ素直に

好きなひとが薦めてくれた本

ということにわくわくし

まるで彼女からの手紙を読むような気持ちで読み始めた。

 

読んでみてそのあまりの異端ぶりに

新鮮な驚きを感じるとともに

これは確かにぼくの気に入る作品だな

と彼女のひとと本を結び付けるセンスにうなったのだった。

 

それからぼくは島田雅彦作品を読み倒した

というそういう20代前半。

 

よくある話で

夢中になっていたにもかかわらず

いつのまにか熱が冷めて離れてしまっていたが

あるとき

徒然王子

を新聞連載で見かけて

今度は20代とは違う落ち着いた熱量で

愛読を再開した。

 

ともかく

ぼくは島田雅彦作品にかなり影響を受けたといってもいいと思う。

 

知人の家を毎夜渡り歩くとか

気に入ったひとと独特の愛し方でつながるとか

とにかく常識を疑ってかかり

ひとを食ったような言動や

物事を斜めに見るスタンスとか

どれも好きだった。

 

そんな島田雅彦さんがどのようにして出来ていったか

っていうのがこの

君が異端だった頃

には描かれている。

 

物心がつきはじめたころから

30歳ころまで。

 

いちおうフィクションということになっているが

ご本人もほとんど事実だと語っているので

私小説ということでいいと思う。

 

でも「私」じゃなくて「君」という表現を選んだのが

島田さんの技というか

でもそれが客観っぽくてとてもいい。

 

作家デビューする前の人格形成の様子や

作家デビューしてからの交友関係が

とても詳しく書かれていて

島田雅彦という作家はこんなふうに生きていたのか

というのが実によく伝わってきた。

 

子ども時代の話や学生時代の話はとてもおもしろかった。

 

小説家になろうと思ったきっかけとか

ロシア語との出合いとか

どんなふうにして大学に入ったかとか

奥さんとはどのように出会ったのかとか

初めて知ることができた。

 

デビュー後の交友関係も賑やかで

文学界隈のひとびとの生態というのを垣間見た気分になった。

 

中上健次さんとのつながりはひやひやした。

 

中上さんの作品は気になってるんだけど

まだ読んだことがないので

これを機に読んでみたい。

 

埴谷雄高さんの

死霊

も読みたい。

 

優しいサヨクのための嬉遊曲

をはじめ

初期の島田作品がどういう意図で書かれたのか

文壇はそれにどう反応したのかも

書かれているので

ニーチェの

この人を見よ

みたいに

作品ガイド的な読み方もできる。

 

最低男ぶりを自ら暴露している部分は

そんなこと書いて大丈夫?

と思いながら読んだが

くれぐれもひとみさんをたいせつにしてほしいと切に願う。

 

それにしてもぼくは

正道よりも異端の方が断然好きだけど

あたかも常識人みたいな顔で暮らしながら内に異端を秘めている

みたいなのがいいな

っていうことを再確認した読書であった。

 

 

 

--君が異端だった頃--

島田雅彦

「パパ、どうして世の中にはこんなに格差があるの? 人間ってばかなの?」

 

さて娘からのこの問いにどう答えたものか。

 

ギリシャ人の著作を読んだのは初めてかも。

 

タイトルにあるように

まるでギリシャ神話を読んでいるように

美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話

になっている。

 

大局的。

 

父が娘に語るトーンっていうのがまたいいね。

 

プロローグによると9日間で一気に書き上げたらしい。

 

すごい。

 

わかりやすいのでするする読めるんだけど

じゃあどういうことが書かれているの?

って問われると

なかなかうまく答えられない。

 

するする読めるからとにかく一度自分で読んでみて

ってお願いするのがいちばんよい答えかもしれない。

 

それでは感想にならないので

ぼくなりの解釈でひとことでいうと

 

かつて社会のなかにあった市場が

あるときから社会を飲み込み市場社会になった

 

価値には交換価値と経験価値があって

市場が扱うのは交換価値だけど

人間には何物にも代えがたい経験価値がある

 

しかし

市場社会は経験価値でさえ交換価値に変換させて

あらゆるものを市場で扱おうとする

 

って感じかな。

 

経験価値っていうのは

たとえば

無償で人助けをするときに得られる喜び

のことで

人助けするにしても

いくら払うからお願い

ってされたら途端に喜びが失われる

っていうもの。

 

この本のなかの例もわかりやすいし

ぼくに思い浮かぶのでは

献血なんかももし有償でお願いされたら

するひとが減るんじゃないかな。

 

それにあまりにも生々しくなりすぎるし。

 

ぼくも感覚的には

交換価値は必要なものだけど

経験価値の方によりゆたかさを感じるので

なんでもかんでも交換価値に変換していく社会の流れには

ちょっと居心地の悪さを感じる。

 

過激な言い方をしたら

市場はある種の黒魔術であって

黒魔術も人間世界には必要だけど

すべてが黒魔術に飲み込まれると

人間は悪魔に魂を売ったみたいになる

ような気がする。

 

まあこれも感覚的な話なんだけど。

 

この本のなかには

ブレードランナー

ターミネーター

マトリックス

といったSF映画や

ファウスト

フランケンシュタイン

といった文学も引用されていて

とてもわくわくさせてくれる書き方になっている。

 

基本的に経済は借金からスタートする

っていうのにはなるほどと思わされて

そこからぼくが連想するのは

ぼくたちのゆたかさは未来の資源を先取りすることによって成り立っている

っていうこと。

 

あと

文字通り

地球環境などの人類共有の資源は

誰のものでもないために

むしろ略奪の対象になっている

っていうのもその通りだと思う。

 

父が娘に語るこの本では

それらをどう考えるかは娘の考えに委ねることとして

父の考えを押し付けることはないけれど

ぼくはこの作者の考えに共感する。

 

でもこの考えを甘いと批判するひとはたくさんいて

いまの社会の主流になっていると思うので

やっぱりこれはただのロマンチックな空想になってしまうんだろうか。

 

 

 

 

 

--父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい 経済の話。--

ヤニス・バルファキス 著

関美和 訳