山頭火句集 種田山頭火 | (本好きな)かめのあゆみ

(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

分け入っても分け入っても青い山

 

ぼくの好きな山頭火の句のひとつ。

 

この句が好きなひとは多いんじゃないかな。

 

この句の前書きにはこうある。

 

大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た。

 

種田山頭火の句がほしくなるときがたまにある。

 

五七五の定型にはまらないのが

きれがあってかっこいい。

 

でも実際の山頭火はそんなにかっこいい生き方ではなかったみたいだ。

 

行乞流転の旅もそんなに観念的に徹底できていたわけではなく

しばしば自分の弱さに負けていた。

 

そのにじみ出る弱さというのがまた

我が身と照らして仲間と思わせてくれるところかもしれない。

 

もっといろいろと山頭火の句を読みたいと思って買ったのが

村上護さんが選句して編集したちくま文庫の山頭火句集。

 

句だけでなく随筆も多数収められている。

 

随筆は句ほど練り込まれていないので

むしろ山頭火の素に近い部分が読み取れるかもしれない。

 

たくさんの句が収められているが

読んでみると

ぼくの感性では必ずしも

どれもこれもすばらしい

とまでは思えなかった。

 

ただ

気分次第でどのページを開いても

山頭火の句に触れられるというのがいい。

 

むしろはじめから通して読むより

そのときの気分で

適当にページを開いて読む方が新鮮に感じるかもしれない。

 

とはいえやはり冒頭の

 

分け入っても分け入っても青い山

 

が馴染みがある分

抜きんでている。

 

あとぼくがもともと知っていたのは

 

どうしようもないわたしが歩いてゐる

 

でこれは上田閑照さんの

私とは何か

という著書での

の考察において紹介されていて

とても印象に残っている。

 

ものすごく絶望的な感じがありながら

しかしその絶望さえも包み込んで肯定している。

 

どうしようもない自分が歩いているところを

ドローンで背後の上空から映しているようだ。

 

どうしようもないわたしであるが

とにかく一歩一歩

歩いている。

 

前に進んでいる。

 

分け入っても分け入っても青い山

 

は山頭火自身の主観の目が見ているように思えるが

あるいは深い緑のなかを歩いている山頭火自身の姿を

上空からドローンで映していると捉えることもできるかもしれない。

 

山頭火の句や随筆からぼくが感じたのは

どうしようもない自分というものと向き合い

ときに逃避し

そして自然と一体化しようとする意志だった。

 

 

 

 

--山頭火句集--

種田山頭火

村上護 編

小﨑侃 画