久しぶりに再読。
小説らしい小説を久しぶりに読んだなあ
やっぱり古き良き作品はうまいなあ
という感想。
作家のオダサクが小説の素材を探すということで
私小説風なのだが
果たしてどこまでが虚構でどこまでが実経験なのか。
まるであらすじを読むかのようにぽんぽんと進む展開がリズミカル。
かといって大味なわけではなく一文一文がよく練られている。
よく練られているからあらすじのようにリズミカルに展開するのかもしれない。
冒頭の一文。
「凍てついた夜の底を白い風が白く走り、雨戸を敲くのは寒さの音である。厠に立つと、窓硝子に庭の木の枝が揺れ、師走の風であった。」
時期も時間も語り手のいる場所もその場の空気感もこの一文に凝縮されている。
かっこいい。
そしてお決まりの街並み描写。
「私は道頓堀筋を歩いているうちに自然足は太左衛門橋の方へ折れて行った。橋を渡り、宗右衛門町を横切ると、もうそこはずり落ちたように薄暗く、笠屋町筋である。色町に近くどこか艶めいていながら流石に裏通りらしくうらぶれているその通りを北へ真っ直ぐ、」
という感じ。
その時代のその町の面影は現在にはなんら残っていないが
ぎりぎり残っている町や通りの名前からその頃のその町の様子を思い浮かべてみる。
不思議な懐かしさ。
スタンド酒場「ダイス」のマダムとオダサクのやりとりは羨ましくて
いつかはぼくもそんなやりとりをできるときがくるのだろうか
と考えてみるも詮のないこと。
今回の再読では
なぜか次の一文が魅力的に思えた。
終盤で
オダサクが天辰の主人に久しぶりに会って
さらに久しぶりに「ダイス」のマダムの料理屋へ出かけた場面。
新しい銚子が来たのをしおに、
「ところで」と私は天辰の主人の方を向いて、
「――あの公判記録は助かりましたか」と訊くと、
「いや焼けました。金庫と一緒に……」ぽつんと言って、眼をしょぼつかせ、細い指の先を器用に動かしながら、机の上にこぼれた酒で鼠の絵を描いていた。
机の上にこぼれた酒で鼠の絵を描いていた
ってこんな場面がどうして思い浮かぶのか。
観察力なんでしょうね。
それと記憶力か。
それにしても戦争末期から終戦後の年の瀬まで
大阪の街やひとびとの様子が生き生きとありありと描かれていて
目に浮かぶよう。
悲惨な状況のはずなんだけど悲惨というより活力があるんだよなあ。
生きるための図々しさというかバイタリティというか
非情でもあり情もあり。
人間社会の曼荼羅だな。
最後の一文が落語のかっこいい落ちのようで実に決まっている。
--世相--
織田作之助