最相葉月さんが
長崎大学名誉教授の産婦人科医である増﨑英明さんに
最新の胎児のはなしを聴くインタビュー。
2019年の現在では
ほんとうによく胎児のことがわかるようになって
胎内の画像もまるでほんとうに見ているかのように
見ることができるようになっているけれど
それはほんとうに最近の話で
現在の妊婦さんたちが見ているような胎児の画像は
彼女たちが産まれた頃にはまだそれほどの精度はなくて
さらに彼女たちの親が産まれた頃には
ぜんぜんまったくそんな状況ではなかったという。
産む
ということじたいは
人類が登場してから何万年も変わることなく続いているが
その周辺で起こることは
ものすごく変わっているということだね。
便利になったこともたくさんあるし
それで救われる命も増えたけれども
その反面
つらくなったことや
それで失われる命も増えたということ。
まず
お母さんにかかるプレッシャーは確実に増えているだろう。
だって
あらかじめわかりすぎるがゆえに
決断しなければいけないことになる。
産むまでわからなければ迷うことも心配することもなかったことが
産む前にわかるので迷ったり心配したりしなければならなくなった。
命の選別なんて
個人で負える決断の域を超えている。
また
親など年長者からのプレッシャーはほんとうに罪だ。
これから産もうとするひとに対して
親などが否定的なあるいは責めるような言動をすることは
厳に慎まなければならない。
だってほんとうに時代が違うんだよ。
時代が違って技術も常識も変わっているんだよ。
あなたたちの時代とは違うんだよ。
だけど
産む
ということは普遍的なことのようなイメージが定着しているから
ついつい自分のときと比べたくなってしまうんだね。
まあそんなことをいろいろ考えながら読んでいたんだけど
胎児のDNAがお母さんに入るっていう話は興味深かった。
その
入る
っていうのがどういう意味なのか
ただ入るだけなのか
それとも
お母さんのからだになんらかの影響を与えるのか。
さらに
胎児にはお父さんのDNAが入っているわけだから
お母さんにはお父さん(夫)のDNAも入っているというのは
びっくりする話だった。
夫婦仲がいい夫婦なら喜び合うかもしれないが
生理的に受けつけなくなってしまっているような夫婦
あるいは別れた元夫婦なら
身の毛もよだつ話に違いない。
ああこわい。
この話があまり世間に広がっていないように感じるのは
ただ単にDNAが入っているだけでお母さんにはなんらの影響も与えていないからか
それともあまりにショッキングな話だからか。
ああこわい。
もし入っているだけなら
腸内フローラの細菌たちの方がよっぽど人体に影響を与えているわけだけど。
それにしても
これだけ胎児のことを詳しく知ってしまうと
どうしても胎児は命であるとしか思えなくなって
中絶というのは命を消すことなんだと思えてくる。
けれども
日本では
一般的には
産まれてからが命のスタートであり
産まれた日が誕生日となる。
そうしないと
社会的に
また
個人の感情的にも
処理しにくいことがたくさんあるからだろう。
増﨑先生の言う
「胎児を見ていると、生まれたあとの顔とよく似ているので胎児と新生児は連続してるって、当然のようにみんな思ってますよね。」
「でも、いったん終わるんです、ぼくの認識ではね。」
「水の中で生きてきた人生が終わって、新たに空気の中の人生を始めている。と、思ったほうがすっきりするというか、理解しやすいっていうか。胎児は胎児の時期があって、生まれたあとの人生がまた別にあると考えたほうが、いろんな説明がしやすいんじゃないかなと、この頃は思っていますね。」
という考え方は
きっと多くの困難な経験をしたひとを救うだろう。
あと
お母さんがあかちゃんを抱くとき
左胸の方にあかちゃんの頭を寄せる抱き方になることが多いのは
あかちゃんの頭がお母さんの心臓の近くにあることによって
あかちゃんが胎内でいつも聴いていたお母さんのおなかの中の音と同じで
安心してくれるからだというのは
なるほどなあと思った。
--胎児のはなし--
増﨑英明
最相葉月