私の消滅 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

中村文則。

 

最近のこの作家の関心事は

最近の作品に投影されているようで

それはぼくの関心事とも似ていて

つまりは

最近の脳科学の著しい進歩とも

関係があるのかもしれない。

 

最近のぼくはこういうテーマは好きなんだけど

そろそろおなかいっぱいになってきた感じもする。

 

私とは何か。

 

この身体に宿るこの精神のことなのか。

 

では他の身体にこの精神が宿ればそれは誰なのか。

 

あるいはこの身体に他の精神が宿ればそれは誰なのか。

 

そもそも身体と精神は分けられるのか。

 

身体とは何か。

 

精神とは何か。

 

構造が複雑そうに思えて

途中までは読みながら混乱するのだが

最後まで読んでから振り返ると

なるほどよく整理されている。

 

他者が認識する私と

私が認識する私は

必ずしも一致しない。

 

というよりも

他者の数だけ私は存在するといってもいいかもしれない。

 

では少数に閉じられた人間との接触のなかでは

私はどういう存在か。

 

人間の記憶なんて実に曖昧で

自分で信じている過去だって

いつの間にか改変されていることは多い。

 

第三者の証言や過去の記録と

自分の記憶が異なることはよくあるだろう。

 

それでかまわない。

 

あえて確かめる必要はない。

 

ところで

最近よく目にする

ニューロフィードバック。

 

いよいよ記憶の改変を積極的に行う時代がやってきた。

 

美容整形とおなじように

記憶さえも美しくできる時代。

 

いまの自分がすべてであるとするならば

過去の記憶だって

自分に都合の良いように変えてしまえばいいのである。

 

他人の過去を自分の記憶にしたってかまわない。

 

うまくやれば

他者のなかの自分の記憶を改変することだってできる。

 

ただし

そのときに

私とは何か

という問いはさらに複雑で不確かなものになるだろう。

 

 

 

 

--私の消滅--

中村文則