佐藤優さん、神は本当に存在するのですか? | (本好きな)かめのあゆみ

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動物行動学の研究者で
たぶん無神論者の
竹内久美子さんが
自らもクリスチャンで大学で神学を学び
元外務省主任分析官も務めていた
佐藤優さんに
神は本当に存在するのですか?
と訊ねる対談。

宗教と科学のガチンコ対談
と副題にあるとおり
なかなかにガチンコで火花が散っている箇所がある。

とはいえ
もともと竹内さんが佐藤さんに聴こうと思ったきっかけが
佐藤さんほどの知性を持つひとが
なぜに神を信じることができるのか
っていうある種のリスペクトを伴うものであるがゆえに
真剣勝負ではありながらも
決定的な分裂に至ることなどなく
むしろ
歩み寄るというか
誤解していた部分の理解も進み
最後に竹内さんの宗教に対する反発心も和らぐという
見事な対談に仕上がっている。

もちろん
佐藤さんも
きれいごとの宗教論ではなく
宗教そのものが内包する矛盾やダブルスタンダードなども
赤裸々に語るので
竹内さんの反発心を薄めることにつながるのだろう。

まさに
お互いの理解を深め世界を豊かにする対談
である。

ちかごろ巷にあふれる
自分の主張だけにしか興味を持たず
相手の主張に耳を傾けようとしないひとたちに
読ませてやりたいような
対談のお手本のようなものだ。


竹内さんがこの対談でもっとも知りたかったことは
キリスト教における隣人愛の隣人とはどの範囲をさすのか
っていうこと。

ぼくは読んだことがないのだが
ドーキンスというひとの
利己的な遺伝子
という本のタイトルは知っていて
要は
生物は
というか遺伝子は自己保存および自己複製が最大の目的であり
基本的には利己的なふるまいをするようになっているのだが
たまに利他的なふるまいをすることがあるとしても
それはあくまでも遺伝子的に近い近親者に対してのみである
というようなことが書かれているらしい。

まあ
そのあたりの考え方は世間には広まっているので
ぼくもなんとなくそういう考え方が存在するのはわかるし
肯定する気分もある。


キリスト教では隣人愛を説いているが
その隣人愛がもしも人類全体のことを示しているのだとすると
それは生物の根本原理からあまりにも逸脱しているので
そのことを確認したかったらしい。

それに対する佐藤さんの答えは明快で
キリスト教の隣人愛というのは人類全体ではなく
キリスト教を信じるひとを対象としている
とのこと。

もちろん異論もあるのだろうが
この答えは竹内さんを満足させる。

ぼくもまあそう思う。

人類全体の利益を考えられるほどには
人類はまだ成熟していないのだろうと思うし
利己的な遺伝子の発想からすると
人類の遺伝子が相対的に近しくなるためには
もっと異なる生命体との対立が発生しなければならないだろう。

つまりは
異星人との遭遇がなければ人類がひとつになることはないだろう。

ってこれは勝手なぼくの妄想。

そんな妄想も刺激してくれちゃう対談なのである。


この対談では
神のことばかりを語っているわけではなく
ひとはなぜ浮気をするのか
とか
まあいろいろ話は膨らんで
結局のところ
神について語ることも
科学について語ることも
人間について語ることだと
つまりはそういうこと。

うん
まあ
特にめあたらしい議論があったわけではないが
好感の持てる対談であった。





--佐藤優さん、神は本当に存在するのですか?--
竹内久美子×佐藤優