客ぎらい | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

--たしか寺田寅彦氏の随筆に、猫のしっぽのことを書いたものがあって、猫にああいうしっぽがあるのは何の用をなすのか分らない、全くあれは無用の長物のように見える、人間の体にあんな邪魔物が附いていないのは仕合せだ、と云うようなことが書いてあるのを読んだことがあるが、私はそれとは反対で、自分にもああ云う便利なものがあったならば、と思うことがしばしばである。


こんなふうに始まるのは
谷崎潤一郎さんの随筆
客ぎらい
である。

猫のしっぽ。

ああ
谷崎潤一郎が猫のしっぽ好き
ってなんだかかわいいではないか。

なんとなく本人は犬っぽいような気もするのだが。

ぼくはそもそもペット全般には興味がなく
動物はやっぱり自然の中が似合うよね
って思っているくちなのだが
それでもあえてときかれると
猫よりも犬派であった。

しかし気がつくと
いつの間にか
猫の方がかわいいと思うようになっている。

きっと
空前の猫ブームに踊らされているのであろう。

猫ちゃんかわいい。

話が逸れたので戻す。


谷崎さんが猫のしっぽを好きな理由がこのあと書かれているのだが
まあわかるようなわからないような
でもやっぱりわかるような。

ああそういうことなら
谷崎さんらしいね
って感じ。

しかしこの随筆は猫のしっぽのことばかり書かれているわけではなくて
タイトルにもあるとおり
谷崎さんが客ぎらいであることについて書かれているのである。

うん
その気持ちはぼくもわかる。

この随筆を書いた63歳当時の谷崎さんの気持ちがわかるぼくというのも
いけてるのかいけてないのか微妙なのだが。

--若い時代には一人でも多くの人を知り、少しでも多くの世間を覗く必要があるかも知れないが、私の場合は、この先何年生きられるものかも分らないし、大体生きている間にして置こうと思う仕事は、ほぼ予定が出来ているのである。その仕事の量を考えると、なかなか生きている間には片付きそうもないくらいあるので、私としては自分の余生を傾けて、それをぽつぽつ予定表に従って片端から成し遂げて行くことが精一杯で、もうこれ以上人を知ったり世間を覗いたりする必要は殆どない。

くーっ
かっこいい。

こんなふうに言える63歳になりたい。

けどたぶん無理。

きっと暇だけを持て余したただ生きているだけの困窮老人になっているだろう。

かなしいかな。

さらにうらやましいのがこれ。

--そこで、昨今の私は出来るだけ交際の範囲をちぢめ、せめてその範囲を現在以上に広げないようにし、新しい知人をなるべく作らないようにしている。昔は交際嫌いと云っても美人だけは例外で、美しい人に紹介されたり訪ねて来られたりすることは、この限りではなかったのであるが、今はそれさえもあまり有難いとは思わない。と云うのは、今日でも美人が好きであることに変りはないのだけれども、年を取ってからは美人に対する注文が大変面倒になって来ているので、普通の美人と云うものは、殊に今日の尖端的タイプに属する美人と云うものは、私には少しも美人とは映らず、却って悪感を催すに過ぎない。私は私でひそかに佳人の標準を極めているのであるが、それに当て嵌まる人と云うものは真に暁天の星の如くであるから、そんなものが無闇に出現しようとは思ってもいない。むしろ私は今日までに知ることを得た何人かの佳人との間に、今後も交際をつづけて行かれれば満足であり、老後の私の人生はそれで十分花やかであって、それ以上の刺戟は欲しくないのである。

むむっ
これはかっこいいというよりも
老人のわがまま全開ってやつではないか。

でも
この気持ちはわかるのだなあ。

年を重ねれば異性のタイプの範囲は広がるものだと思っていたのだが
逆に独自の審美眼というものが育ってしまっていて
注文が厳しくなるのであった。

もちろん
自分はなにほどのものでもないので
ひとりよがりのさびしい審美眼なのではあるが。

それにしても
食といい
趣味といい
女性といい
谷崎さんクラスになると
これぐらいのわがままは全然OKで
むしろ谷崎らしさ
みたいな評価にもなって
いいなあ。




--客ぎらい--
谷崎潤一郎