町田康さんの作品。
そもそもこのタイトルなに?
ギイケキ?
ああ
ギケイキ
ね。
って
なに?
ギケイキ
って?
偽景気?
偽計記?
義兄記?
ああ
義経記
ね。
あの
源義経の。
で
そう
実際にあるの
義経記。
それは知らなかった。
それはそうと
表紙の雰囲気も
絢爛豪華な
平安の世を
髣髴とさせるよね。
色彩
サイケデリック。
登場人物たちのファッションの表現なんか
ああそういえば古文の授業でこんなのあったなあ。
いちいち服装について描写するやつ。
たとえばこんなの。
--白き小袖一重に唐綾を著重ね、播磨浅黄の帷子を上に召し、白き大口に唐織物の直垂召し、しきたへ(敷妙)と云ふ腹巻著籠めにして、紺地の綿にて柄鞘包みたる守刀、金作の太刀帯いて、薄化粧に眉細く作りて、髪高く結ひ上げ、
これを町田さんが文章にするとこんなふうになる。
--まず白い小袖、そのうえに唐綾を重ね着て、薄い藍色の帷子を合わせる。白い、裾の大きく開いた袴を穿いて、敷妙といういい感じの、腹巻、といって胴に巻く防具を巻き、唐織のゴージャスな直垂を合わせる。守り刀は紺地の錦で包んで、太刀はゴールドで拵えてあるのを。前髪を真ん中からふたつに分けて横に垂らして、後ろはまとめ上げて高く結って、メイクは薄め、眉は細め。
わかりやす!
現代!
しかもこの文章の前後の補足が素敵。
授業でもこんなふうに教えてくれてたら
もうちょっと興味を持てたかも。
ってもしかしたら
先生もそれなりに工夫して教えてくれてたのかもしれないわけで
やっぱりそれはいまだからそう思うっていうだけで
学生のころにこのギケイキを読んでもぴんとこなかったかも。
まあそれにしても
義経記
をリメイクしているとはいえ
町田流のふくらましで
なかなかにどたばたと愉快なことになっていて
あいかわらずぼくはこのひとの文章は好き。
義経。
もともとあんまり詳しく知らなくて
それでも
美形で小柄で身軽で悲劇のひと
っていうくらいのイメージがあったのに
ここで描かれる義経は
まあスーパーマンだ。
しかもかなりドライ。
そういう時代とはいえ
けっこう酷いこともしてる。
目的の達成のためには手段を選ばない。
これまでぼくが読んだ町田作品の主人公とは異なり
ぐだぐだな感じはしない。
身も蓋もないくらいの聡明さは
ある意味で神的。
ちょっと話は逸れるが
最近のぼくの考えの流行は
人間は知性と感情のバランスの違いにより
そのひとらしさというものが生まれる
ということ。
で
政治でも宗教でも科学でも
リーダー的な存在のひとは
なんらかの行動をする際の判断において
感情をできるだけ排して
知性に純化していく傾向があると思う。
そういう意味では
究極のリーダーはいずれ
AI
にとってかわられるのではないかな。
それに対抗する手段として
感情派の人間は逆に
感情を持つAI
を欲しがるかもしれない。
話をもとに戻すと
ここで描かれる義経はまさに明確な目的を与えられたAIみたいに
カンペキなのだ。
もちろんこれは町田流のフィクションであるのだが。
いっぽうの弁慶は
これはやはりなかなかにぐだぐだで
むしろ安心する。
考えてみれば
その生い立ちはかなり気の毒なんだけど
だからといってそういうふうになっちゃったらまずいんじゃないの
とも思うのだが
そういうふうに思う
っていうのがまたたのしい。
で
えっそんなところで終わっちゃうの
そのあとどうなるの
っていう感じで物語は終わるのだが
そこもいいね。
スピード
スピード
スピード
アキレスと亀。
それにしても
義経が物語序盤に身に着けた
早業
っていうのはめちゃくちゃ重宝なツールとして
作品中で大活躍するのであり
また
物語そのものも
さくさくとんとんスピーディーに展開するので
まさにこれも
早業。
そりゃあもう好きな少年漫画を読んでいるような気分で
愉快な読書の時間だったのである。
--ギケイキ--
町田康