卯月朔日(うづきついたち)、御山(おやま)に詣拝(けいはい)す。往昔(そのかみ)、此(この)御山を「二荒山(ふたらさん)」と書(かき)しを、空海大師開基の時、「日光」と改(あらため)給ふ。千歳未来をさとり給ふにや、今此(この)御光(みひかり)一天にかかやきて、恩沢(おんたく)八荒(はっくわう)にあふれ、四民安堵の栖(すみか)穏(おだやか)なり。猶(なほ)、憚(はばかり)多くて筆をさし置(おき)ぬ。
あらたうと 青葉若葉の 日の光
ぼくにとっては徳川家康よりは豊臣秀吉の方が親しみ深くて
だから日光にもあまり興味がないのであるが
高野山が近いこともあって弘法大師さまには敬意を表しているので
日光が空海の命名だとするとすこし嬉しかったりする。
この句はあまりにも日光つまり家康を称賛しているので
なんだかむしろうさんくさい。
芭蕉のようなタイプは
家康を手放しで称賛することはないような気がするという
そんな勝手なイメージがある。
千利休にとっての秀吉のような感じ?
だとしても
そういうことを抜きにして
この句は激烈にさわやかだよね。