審判〈大聖堂にて〉(その1) | (本好きな)かめのあゆみ

(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

半年ぶりの続きになってしまった。


ぼくにとってお気に入りの山場ともいえる章。


〈大聖堂にて〉


全容がみえない謎の訴訟手続きに全精力をもっていかれ、疲労困憊しているK。


あるとき、Kが業務主任を務める銀行にとってたいへん大事なイタリア人の顧客に街の旧跡を案内する役を任される。


この時期にこういった仕事は断りたいKではあるが、銀行のなかで美術史の知識があると思われているKにはそれを断る道はなかった。


雨の降る荒れ模様の朝。


準備のために朝の7時には事務室にやってきたKを待ち構えていたかのように頭取が呼び出す。


頭取室にはくだんのイタリア人がいた。


イタリア人のイタリア語は訛っていてKには理解が難しい。


ところが頭取は理解できているらしい。


ふたりのやりとりをぼんやり見守るK。


集中力が途切れるそうになる。


頭取が要約してくれた内容は、イタリア人にはあまり時間がないので大聖堂だけを見学したがっている、これから用事を済ませるので10時に大聖堂で待ち合わせたい、とのことであった。


約束の時間に大聖堂に到着したK。


しかしイタリア人はいない。


雨足は弱まっているが、湿っぽく、寒く、暗い。


こんな天気だからか大聖堂にはひとがみえない。


イタリア人を待っているあいだに、あたりはひどく暗くなっていく。


遠くの主祭壇の上にロウソクの光が大きな三角形をつくってきらめいている。


柱にとりつけられたロウソクの光は非常に美しいが、祭壇画の照明としてはまるっきり不充分で、かえって暗さを増しているようなものだった。


巨大な祭壇画の一枚を懐中電灯で照らすK。


けれども懐中電灯のあかりでは絵の一部しか照らせず、全体像は掴めない。


このあたりの表現が非常におもしろい。


全体像が掴めない訴訟手続きそのもののようだ。


ふと、背後のベンチに寺男がいることに気づくK。


Kが追おうとすると、寺男は逃げ出しつつ、しきりにKにある方向を指し示す。


しばらく滑稽な追いかけっこが続くが、やがてKは小さな説教壇を見つける。


――あまりに小さいので、遠くから見ると、いずれ聖人像を収めることにきまっているまだ空の壁龕のようであった。中で説教者は手すりからまるまる一歩はさがれないに違いなかった。その上説教壇の石の丸天井は異常に低いところから始まって、装飾こそないがひどく彎曲して上へ伸びているために、中ぐらいの背の男でもまっすぐ立つことはできず、たえず手すりから身をのりだしていなければならないほどだった。全体がまるで説教者を苦しめるために作られたようなもので、ほかの大きな芸術味ゆたかに装飾された説教壇も使えるというのに、こんなものが何のために必要なのか、さっぱりわけがわからなかった。


誰もいないこんな日に、こんなところで説教が行われるはずなどないと思っていると、説教壇の下には一人の僧が立っていて、Kを見ていた。


Kが気づいたのを確認すると、僧は説教壇に上がる。


Kは迷う。


いまのうちにずらかったほうがいいのではないか。


時計を見ると11時だった。


いまにも僧は説教を始めようとしている。


――なんという静寂がいま大聖堂を支配していたことだろう! しかしKはその静寂を乱さねばならなかった。彼にはここにとどまる意思がなかった。きまりの時間に、周囲の状況なぞ顧みずに説教するのが僧の義務なら、勝手にすればいいのであった。


出口へ向かうK。


――たぶん僧に見つめられて人気のないベンチのあいだをひとりで通ってゆくと、Kはいささか自分を見捨てられた者のように感じたし、大聖堂の大きさがまさに人間に耐えうるぎりぎりのような気もした。


――ベンチと出口のあいだのもはや何もない場所にさしかかったとき、彼は初めて僧の声を聞いた。力強い、きたえぬかれた声だった。声は、それを受入れるために用意された大聖堂に、なんとよく透ったことだろう! 僧が呼びかけたのはしかし会衆にではなかった。それはまったく明々白々で、逃れる道はなかった。「ヨーゼフ・K!」、と叫んだのだ。


大事なところなのでその2に続く。





――審判〈大聖堂にて〉――

フランツ・カフカ

訳 中野孝次