ひさしぶりのオダサク。
短篇なのだが、あらすじか! ってくらいさくさくと展開するのに、きっちり感情の機微が描かれていてステキ。
さらに、当然のように大正のころの大阪の風俗が詳細に書き残されていて、もちろんぼくはその時代に暮らしたことはないけれども、目の前に景色が浮かび、まちの匂いさえもただよってきそう。
和歌山県有田郡湯浅の魚問屋の長男、児子(にご)権右衛門の半生。
父がいまわのきわに残した言葉のとおり、喧嘩、女出入り、賭け事をさっぱりやめ、財をなすべく大阪に出てくる。
仕事の履歴がまた興味深い。
沖仲仕、帳場、冷やしあめの露天商(冷やしあめ、懐かしい!)、扇子の夜店、灸、紙屑屋、廃球(切れた電球)専門の屑屋(市電ものや白金つき)、古電線・古レール・不要発電用機械類などの払い下げによる廃物回収業、談合調整、沈没した汽船を買い取って引揚げ解体、とどんどん仕事を変えていく。
いずれの仕事も、切りのいいタイミングで綺麗すっぱり見切りをつけるのが権右衛門の持論で、その通り潔く仕事を変えるが、それがきっちり成功していく。
そういう意味ではサクセス・ストーリー。
けれども、父の遺言にしたがって、商売が軌道に乗っても、徹底して吝嗇を続け、結婚してからも昼食は麦飯に塩鰯1匹だった。
それに、けっこう際どい商売、っていうか現代のコンプライアンスでは確実にアウトな仕事もしていて、生き馬の目を抜くとはまさにこのこと。
それでも決して憎めないのがオダサク流。
弟妹の面倒もしっかりとみるし、妻はしっかりしすぎるほどにしっかりもので権右衛門以上に金銭管理に長けているという。
タイトル通り俗臭ぷんぷんなんだが、それをこうもさらりと嫌味なく描けるのが、やっぱりオダサクの巧さでありかわいげなのである。
――俗臭――
織田作之助