一時期、日記をしたためていたことがある。
いつの間にかやめてしまい、その日記もいずこかへ消え失せてしまった。
いまのぼくにも当時の思い出というか記憶はそれなりに残っているが、日記とともに記憶から失われてしまった感情やできごとというものもあるだろう。
それは、もしもいま思い出すことができたなら、あまりにもくだらなかったり、しみじみと感動したり、思わず赤面せずにはいられなかったりするしろものかもしれないが。
自分の日記を生きているうちに出版するとするというのは、どういう気持ちがするものだろう。
そしてそれを10年後に読む自分というものは。
hanae*さんの小学生日記を読んだ。
きらクラ!にhanae*さんがゲストにきていたときに、ふかわりょうさんが天才だと褒め称えた
ポテトサラダにさよなら
を読みたかったからだ。
日記と銘打っているが、まあ、作文である。
hanae*さんが小学生であったころの。
ポテトサラダにさよなら
は読売新聞社主催の全国小・中学校作文コンクールで文部科学大臣賞を受賞している。
前年と前前年には読売新聞社賞を受賞しているので、作文コンクール界ではブイブイ言わせていたようだ。
そんなhanae*さんは現在、東京藝術大学の楽理科に在籍している大学生でエッセイスト。
小学生当時の自分の作文を、10年後のおとなたちに読まれるというのは、ちょっと気恥ずかしいのかな?
それにしても、作文のクオリティが高い。高すぎる。
ぼくが小学生のころには、とてもこんな文章は書けなかったし、こんなふうに自分のまわりをみることもなかった。
次元が違う。
一般的に女の子は男の子に比べて、言語感覚の成熟がはやいというけれども、この作文を読む限りでは、女の子は小学6年生の時点で、人格としては完成しているのではないか、と思える。
だって、ぼくのまわりのおとなの女性たちも、こんな感じだもの。
それに引き替え小学生のぼくは、およそ自分のことしか見えていなくて、家族や友だちの気持ちや置かれている状況に思いを馳せるなんて芸当は到底考えつかなかった。
もしもぼくにhanae*さんほどの言語能力があっても、書くことができる作文は、くだらない自己中心的なものになっただろう。
それはそれで、おこさまでも愛すべきあのころの自分、には違いないのだけれども。
っていうかそもそも、女性はこどものころに限らずおとなになっても周囲を感じる力は優れているし、男はこどものころに限らずおとなになっても自分の世界しか理解できない生き物なんだけどね。
いろんな作文があって、そのひとつひとつにhanae*さんのやさしい視線が注がれていて、読んでいると、あのころのナイーブでこわれやすい感覚がよみがえってくるようで、なんだかいとおしい。
どの作文も素敵だけど、ぼくは
昼間の電車
が自分の弱さと、まだまだ世間にはよいひとがいるっていうことの気付きが描かれていて好き。
小学生にしか描けない世界が、小学生とは思えない文章と観察力と感性で描かれているとても瑞々しい本だった。
すべてのひとたちのこども時代に愛を込めて。
――小学生日記――
hanae*