昨日、孤独についての記事を書いたのだが、その後に思い出したことがある。
野田秀樹さんの戯曲
半神
である。
萩尾望都さんの同名漫画に着想を得た作品。
物語は簡単にいうとこんな感じ。
腹部でつながっているシャム双生児のシュラとマリア。
賢いが醜い容貌の姉、シュラと、美しいが知能の低い妹、マリア。
10歳を前にして、ふたりは死の危険に瀕する。
どちらかひとりだけなら手術で救える。
どちらを救うか。
救われたのはマリア。
けれども手術後のマリアは、まるでシュラが乗り移ったかのように賢くなっていた。
このあとにも野田さんの戯曲らしく、さまざまな反転が起こるのだがここではそれはさておいて。
シュラかマリアかを選ばなければならない父と母の苦悩。
だってふたりとも愛する我が子なのだから。
どちらも生きさせたいが技術的にそれは不可能。
選べないなら、指をくわえてふたりが衰弱していくのを見ているだけになる。
そして、どちらかしか生きられないと知っているシュラの苦悩。
美しい容貌と無垢なたましいのゆえに誰からも愛される妹をねたむ気持ち。
からだがつながっているせいで、いつも知能の低い妹に振り回される歯がゆさ。
シュラの苦悩はその知能の高さゆえに重くなる。
ふたりでいるからこその孤独と、どちらかが生き残ったあとの孤独。
自由と引き換えに失った「ふたりでいる」ということと、自由と同時にやってきた「ひとりである」ということ。
シュラはマリアにこころをあげた。
マリアはシュラにこころをあげた。
孤独はどっちが持っていく?
孤独はひとになる子にあげよう。
かわりにおまえには音をつくってやろう。
この世の誰もきいたことのない音を。
そう、それが、孤独のひとつのあり方なのだ。