いつの頃からだろう。
ぼくの辞書のなかの「孤独」の項から寂しさの意味がなくなったのは。
ぼくのなかでは、「孤独」という言葉には、ひとりである、以外の意味がない。
英語は得意ではないが、「孤独」を英訳すると主に二通りの単語があるらしい。
loneliness と solitude 。
loneliness には寂しさの意味合いが含まれる。
solitude にはひとりであること以外の意味がない。
つまりぼくが「孤独」と聴いてイメージするのは solitude であって loneliness ではない。
ひとりであることと寂しいということはイコールでは結ばれていない。
寂しいはあくまでも寂しいであって、寂しいことを孤独であるとは表現しない。
川上未映子さんは、
――孤独の最小単位は「ひとり」ではなくて「ふたり」なんじゃないか
と言っていたけどそういうのもわかる。
孤独を感じるふたりというのは、ひとり×2 なのか、ふたり×1 なのか考えてみたりもする。
新聞でポール・オースターさんの記事を読んでいて、デビューの作品が
孤独の発明(原題 The Invention Of Solitude )
というタイトルであることを知った。
べつに近頃のぼくが「孤独」という言葉に反応しやすい心理状態になっているわけではないと思うが、たまたま、「孤独」という言葉が目に入ることに気が付いた。
ガルシア・マルケスさんの
百年の孤独(原題 Cien Años de Soledad )
を読みたいと思っていたり、
椎名林檎さんの新曲である
孤独のあかつき
を聴いてみたり。
そういえば「孤独」がタイトルに使われている小説や詩はたくさんある。
アラン・シリトーさんの
長距離ランナーの孤独(原題 The Loneliness of the Long Distance Runner )
であるとか
谷川俊太郎さんの
二十億光年の孤独
であるとか。
たぶんほかにもキリがないくらいあるだろう。
ふと思うのだが、「孤独」には反対語、対義語は存在するのだろうか。
ぼくの用いる「孤独」の意味の対義語ならば「集団」とか「群衆」ということになるだろうか。
あるいは「孤独」が自由を意味するならば、その対義語は「束縛」とか「しがらみ」ともいえるか。
「孤独」の対義語を「絆」であるとはさすがに考えたくはないが。
「孤独」を寂しさと捉えるひとには、その対義語は「家族」とか「ともだち」とか「恋人」ということになるかもしれない。
この場合なら「孤独」の対義語が「絆」であってもよいのかな。
なんだか胡散臭いけれども。
どうも「孤独」には両極端なふたつの意味が流通しているような気さえしてくる。
こうして、いつものぼくの癖で、結局は言葉遊びをしているだけになってしまうのだった。
歯がゆい。
ところで、先ほどの新聞のポール・オースターさんの記事には、作家本人の弁としてこんな言葉が書かれていた。
――すべての小説は作者と読者との平等な合作である。それは世界で唯一、二人のまったく知らない同士が、何の邪魔も入らぬ親密さで出会うことができる場所だ。
こういう作家の素朴な言葉を、ぼくは無邪気に信じていたいと思う。
読書の時間を「孤独」と表現するなら、それはなんてハッピーな言葉なんだろう。