月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。
古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘(くも)の古巣をはらひて、やや年も暮、春立てる霞の空に、白川の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もも引の破をつづり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先(まづ)心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移るに、
草の戸も 住替る代ぞ ひなの家
面八句を庵の柱に懸置(かけおく)。
松尾芭蕉さんが奥の細道の旅に出たのは元禄2年(1689年)。
3月20日の深川から9月5日の大垣まで、5か月半の旅。
1644年生まれなのでこのとき45歳。
この旅の5年後、1694年に50年の生涯を終えています。
何度読み返してもかっこいいこの冒頭。
ことばのひとつひとつに切れがあり洗練され研ぎ澄まされています。
情熱。
俳人は何ゆえに旅をするのか。
さすらうひとへの憧れ。
歩くことと想うことはとても相性がいい。
この句。
草の戸も 住替る代ぞ ひなの家
わずか17文字に凝縮された情景と感情、寂しさと決意。
半年にも及ぶ旅をいまのぼくはすることは叶わないし、もしできたとしてもきっとぼくの感性では愉しみきることはできないであろうから、せめて文章のなかで芭蕉さんの旅に思いを馳せてみたい。
そんないまの気分。
――奥の細道――
松尾芭蕉