ぐずぐず
してしまうのはなぜか
ということを書いた本ではありません。
ぐずぐずしている状態をぐずぐずというようになったのはなぜか
ということについて考察した本です。
というと語弊がありそうなのでもう少し詳しく述べます。
オノマトペ
というものがあります。
日本語では
擬音語や擬声語や擬態語をあらわします。
わんわん とか
とんとん とか
ざらざら とか
しとしと とか
そういうのです。
オノマトペはドイツ語で
音の絵
と訳されるそうです。
音の絵。
論理的な解釈を超えて
感覚に訴える音というような雰囲気でしょうか。
その
わんわん はなぜ わんわん なのか
しとしと はなぜ しとしと なのか
そのあたりを哲学的知見でもって探求していく本だといえば
そう遠くもないような気がします。
第Ⅰ部と第Ⅱ部にわかれていますが
第Ⅰ部を読んでいるときは正直なところ
あまりにも感覚的な印象を受けて
さては作者は適当に思いつきでこの本を書いたな
と思ってしまいました。
オノマトペ
が次々と出てくるので意味がわからなくても
なんとなくふわふわと楽しいのですけどね。
第Ⅱ部になるとしっかりとした考察に突入。
ここらあたりから作者の只者ではない気配が察せられます。
察せられるものの
ぼくの能力不足で結局よくわからないんですけどね。
しかし単なる言語学の研究というわけではなくて
人間とことばとの関係性について
ふかい思索をめぐらせていることは伝わってきます。
ときどき喫茶店のなかで読んでいたのですが
ひとの会話がほどよく聞こえる状態の方が
この本を読むにはしっくりくるように思います。
それにしても日本語のオノマトペってこんなにもあるんですね。
思えばぼくはあまりオノマトペを使いません。
文章でも会話でも。
ひとによってはオノマトペを多用するタイプもいますよね。
オノマトペっていうのは
ことばを知らないからつい感覚的に話してしまう
というようなイメージもありますが
逆に書きことばに支配されない自由な感性のあかしのような気もします。
ぼくは文章に書かれたことばが好きですが
ひとの口から耳へと伝わる声という音も魅力的ですよね。
それにしてもこんなにたくさんのオノマトペのシャワーを浴びたのに
この記事にはほとんどオノマトペが出てこないところをみると
やっぱりぼくはオノマトペが苦手なんでしょうか。
ちなみにさっきまで雨が降っていたので
雨にまつわるオノマトペを考えていたのですが
ざあざあ
しとしと
ぽつぽつ
くらいしか思い浮かびませんでした。
ほかにどんなのがあるでしょう。
――「ぐずぐず」の理由――
鷲田清一