何故か今さら
はじめての川端康成さん。
雪国
でも
伊豆の踊り子
でもなく
千羽鶴。
ずいぶん前に読書ともだちから熱烈にお勧めされた1冊。
このともだちには志賀直哉さんの暗夜行路をお勧めされて
それがとてもとてもよかったので信頼に足るレコメンダーなのである。
なにはさておきとにかく美文。
格調の高さ。
気品。
あらすじは
書いてしまうと実にしょーもないというか
ありがちというか下品というか
すれすれなのだ。
父とその愛人
息子と父の愛人
息子と父の愛人の娘
の愛欲の行き着く先は
みたいな話です。
下品な話になりかねない設定を
美文と茶の湯の世界の小道具たちが
うつくしくてはかなくてなやましい物語に昇華させていきます。
千羽鶴の風呂敷
黒織部
志野の水指
志野の筒茶碗
茶の湯の世界にあこがれはするものの
実際には触れることもない身にとっては
茶器の描写に実感が伴わぬものの
茶器と女性の質感の間のにおいたつような暗喩に
官能と妄想を刺激されずにはいられないのである。
おとなのエロチシズム。
現代的な視点ではややもすると滑稽ですらある男女の心理の描写には
おとなの男のあこがれが詰まっているようにも思える。
おとなのおとぎばなし?
和服と洋服が入り混じる
昭和初期の世界に入り込むのも
心地いい。
続編の
波千鳥
のなかの
文子の手紙も実にうつくしい。
忘れてほしいといいながら忘れないでほしい女心に
未練がましさは感じるけれども
別府への旅の心情と情景の描写は
読むぼくのこころに沁みこむ。
こんな手紙をもらいたい。
こんな手紙を書いてみたい。
こんな旅をしてみたい。
登場人物のひとりひとりにはわかりやすいキャラ付けもなく
特別な魅力を感じるわけでもないのであるが
話すことば
書く手紙
思う心理
ふとしたしぐさ
それらの表現にこころが洗われたりうっとりとしたりするのである。
これが20歳代のひとたちの会話ですか?
おとなすぎませんか?
って思うぐらい造詣が深く語彙も多様で思いの深いことばの数々。
ちょっと自意識過剰の悲劇的妄想も感じられるものの
そこがメロウな感じで心地よいのである。
とにもかくにも美文の魅力に最初から最後までやられっぱなし。
これを日本語で堪能できる日本語ネイティブである幸運に感謝。
-千羽鶴-
川端康成