コギト・エルゴ・スム。魔法の言葉。ワレオモフ・ユエニ・ワレアリ。デカルトがたどりついた根本命題であるところの考えている私にとって肉体の存在とは如何なるものか。調子の良いときは肉体の隅々にまで気が満ち満ちているように感じることがある。肉体の表面を風船のゴムに喩えるならばあたかも気はそこに充満する空気のように。まったく逆の感想を抱くこともある。気力が充実しているがゆえに肉体がそれに追いつけず自由に飛びまわろうとする気にとって肉体が邪魔者そのものであるかのような。マグネット・コーティングを施す前のガンダムとアムロのようなもどかしい関係。考えている私と肉体の同一性の確認。確かになったりあやふやになったり。つまりは虚しい議論。そういうわけでたまにはいつもの肉体を抜け出して他の誰かの肉体に入り込みたくもなるっていうもの。そういうこと、ありませんか。みんなで一斉に、せーの、で肉体をチェンジしてみたとしてその後の個体の認識は考えている私中心か属している肉体中心かという問題。あなたが私でお前がおれで。転校生で入れ替わった心と肉体のアイデンティティ。あるいは脳移植した場合のアイデンティティは脳の元の所有者に属するか移植された肉体の所有者に属するか。倫理的な重大問題。生まれてからこれまでながらく寄り添ってきたわが肉体。決して完全無欠とはいいがたくむしろ残念な部分も多いけれども決して嫌いじゃないんだよ。だから誰かの肉体と交換したいなんて思わない。いや、短時間だけならむしろ愉しみたい。アトラクション。マルコヴィッチの穴ってこんな話だったっけ。古今東西ありふれたテーマではあるよな。