通勤や通学の
満員電車って
どうして
あんなに
満員なんでしょうね。
自分を
人間ではなく
運ばれるモノ
であると
みなせないと
あの状況に
乗り込んでいくことは
できません。
満員電車は
人々の不機嫌を
乗せて
運ぶ
貨物列車です。
非人間的乗り物です。
が
それに乗らなければ
生活ができない
ぼくたちは
とても人生の
成功者なんかでは
ないでしょう。
この作品は
同じ時間帯に
同じ地下鉄車両に
乗り合わせた
4人の男女
それぞれの
視点から
描き出される
4編で
構成されています。
劇的なことは
何も起こりませんが
(むしろ不愉快な
出来事が起こります)
いずれも
不機嫌や
諦念の
小市民的な
言い換えれば
現実的な
思考が
短い間に
それぞれの
脳裏に
巡らされます。
些細なことの
描写に
作者の
津村記久子さんの
人間観察と
想像を
楽しむ
嗜好が
伝わってきました。
感動的な作品
ではありませんが
あるあるネタ的に
そんなことを
考えながら
乗客たちは
電車に
乗っているのかもしれないなあ
なんて。
ぼくは
いつも
音楽を聴きながら
車窓の景色を
眺めるともなく眺めたり
目をつぶってたりして
ぼーっとしているので
登場人物たちのようには
これといって
何も考えていません。
でも
ときどき
自分がものすごく
疲れていたりすると
同じ電車に
乗っている
名も知らぬ同乗者の
みなさんも
辛い思いを
抱えながらも
逃げ出したい気持ちに
負けることなく
今日も
それぞれの
持ち場に
向かっているんだなあ
と
ひとり感慨に耽ったり
えもいわれぬ
連帯感を感じたり
することがあります。
見知らぬ
人々の
けなげに生きる姿の
いとおしさ。
-地下鉄の叙事詩-
津村記久子