(本好きな)かめのあゆみ

(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

見てくれてありがとうございます。


本好きといいながら、本だけじゃありませんが。

荒木飛呂彦先生の新書。

 

最近

荒木飛呂彦の新・漫画術 悪役の作り方

が刊行されたのを機に

10年前の2015年に刊行されていたのに

未読だった

荒木飛呂彦の漫画術

を読んだ。

 

ぼくは

魔少年ビーティー

が好きだけど

連載当時は人気がなくて

最終回になってやっと人気が出た

という話が興味深かった。

 

週刊少年ジャンプの読者は

友情が好きなので

最終回の話は共感を得られたらしい。

 

途中の話は逆に

週刊少年ジャンプの読者が好まない

変化球だったので

人気がなかった。

 

ぼくはビーティーのあのやり方は

悪いけど賢くて好きだったけど。

 

荒木先生が主張する

漫画における4大構造は

①キャラクター

②ストーリー

③世界観

④テーマ

ということだけど

これは人生にもあてはめることができるかもしれない。

 

自分の人生のなかの

登場人物のキャラクターや

自分のこれまでとこれからのストーリー

自分が持っている世界観と

自分の人生のテーマ。

 

そういうのを整理してみると

人生の輪郭がはっきりしてくるかもしれないし

人生を自分で創作できるようになるかもしれない。

 

キャラクターや世界観それからテーマを意識すると

おのずとストーリーが立ち上がってくる。

 

荒木先生が実践しているという

キャラクターをしっかりさせるための

身上調査書

はとても興味深い。

 

自己分析にも使えるかもしれない。

 

そして

週刊少年ジャンプ的には

常に主人公は前に進んでいかなければならない。

 

もちろん週刊少年ジャンプ的な漫画だけで

世界が成り立っているわけではないが

どの漫画であっても

その漫画が好きならば

その漫画の構造を理解することによって

自分自身の生き方の参考にもできるかもしれない。

 

まあいろいろ考えさせられたが

ジョジョのシリーズをはじめ

露伴先生や

ビーティー

バオー来訪者や

デビュー作の

武装ポーカー

の創作裏話がてんこもりで

ファンにはとてもうれしい内容だった。

 

 

 

ーー荒木飛呂彦の漫画術ーー

荒木飛呂彦

不憫な目に遭った

十八歳と八歳の姉妹の

四十年にわたる人生の物語。

 

最悪なのは実の父と

その後に現れた実の母の新しい男。

 

ろくでもない。

けれどこういう男はたくさんいる。

 

女性のみなさんはくれぐれも注意してほしい。

 

でもそういう男に寄りかかってしまう

女性の気持ちもわからないでもない。

 

人間って合理的な動物ではけっしてないからな。

 

わからないでもないんだけれど

こどもを育てる選択を一度した限りは

やっぱりまっとうしてほしい。

 

それは女性も男性も。

 

そういう最悪なスタートで最初はつらいけれど

その後の姉妹を見守るあたたかいひとびとの存在は

もしかしたらファンタジーでしかないのかもしれないけれど

こういう世界はもしかしたらあるのではないか

と思わせられる自然さで

読んでいてほのかに幸せな気持ちになれる。

 

津村記久子さんの抑えた描写がとてもいい。

 

すごく特別なことが次々と起こっているはずなのに

これはこういうふうになるしかないというような

自然な流れ。

 

金銭的に裕福じゃなくても

このひとたちの暮らしの方がよっぽど幸せそうに思える。

 

いまの暮らしはなにをするにしてもお金がかかるんだけど

もしかしたらそれは何らかの錯覚で

本質をうまくつかめばお金をかけなくても暮らしていけるんじゃないかと

そう思わせられる。

 

ネネの存在が最高に利いていた。

こんなに賢くて長生きな鳥がいるなんて

考えたこともなかったよ。

 

とても幸せな話なんだけど

姉妹は結局こどもを持たないようだったので

それは何らかの作者のメッセージなのだろうか。

 

 

 

 

ーー水車小屋のネネーー

津村記久子

冒頭から惹きこまれた。

巧みな文章だ。

 

菜食主義者になったヨンヘと

その夫の視点から語られる

「菜食主義者」

ヨンヘの姉の夫の視点から語られる

「蒙古斑」

ヨンヘの姉の視点から語られる

「木の花火」

の3作品からなる。

 

「菜食主義者」を読み終えて

「蒙古斑」を読み始めたときは

よく似た世界観ではあるが別の物語かと思ったが

読み進めるうちに同じ世界の続きの物語だとわかった。

 

ヨンヘが狂っているとはぼくには思えないので

ヨンヘの姉の夫がヨンヘに興味を持って

一線を越えてしまうところは

お互いに大人だし同意があるから良し

と感じたので

常識的な倫理観とは異なる読み方をしてしまったかもしれない。

 

当然、ヨンヘの姉の感覚の方が普通なのだろうか。

 

いずれにしても

女も男もそれぞれに抑圧されているというのがよくわかる。

 

著者のあとがきから

「慰めや容赦もなく、引き裂かれたまま最後まで、

 目を見開いて底まで降りていきたかった。」

 

訳者のあとがきから

「「私」は家族の中で形成され、

その家族によって「私」であることを妨害される。」

 

これらの文章がこの作品をよく表していると思う。

 

汚れた動物であることをやめて

静かな植物になりたい。

 

ヨンヘみたいなことにはならなくても

その気持ちに共感する現代人は多いに違いない。

 

抑圧されてこの世界に絶望しているひとは

目を見開いてその抑圧とともに底まで降りて行け。

 

そして

「もうここからは、違う方向に進みたい。」

と。

 

 

 

 

 

――菜食主義者――

ハン・ガン

訳 きむ ふな