影踏み鬼 | るーじん の 楽しい日記 

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趣味でボーカロイド楽曲などを製作しています。
自作ボカロ曲、地下アイドル、AIイラスト、
日々感じたことなど自由に書いてます。

 

一週間後に

ボーカロイドコレクションというイベントに

一曲投稿します。

 

 

 

 

歌詞の中にすべては表現しきれていないため

予告がてらその曲の背景にした短編ストーリーを以下に。

 

 

 

 

「影踏み鬼」

 

夜の帳が静かに降りる頃、男は薄闇の中を独り歩いていた。
湿り気を含んだ風が梅の香を運び、
かすかに忘れかけた情景を心の奥底から掬い上げるように揺れた。
その時、ふと足元に影が伸びるのを感じた。己の影ではない。
振り返ると、そこにひとりの女の鬼が立っていた。


 白き衣を纏い、髪は清流の流れのごとく、
青白き肌にはかすかな紅が差している。
妖しくも美しい。


女は微笑み、そっと男の影を踏んだ。




 ——影を踏まれると、人は記憶をなくし、感情をなくし、やがて命すら奪われる——


 それはこの地に古くより伝わる鬼の伝説であった。
男の心に不吉な音が響きつつ
目の前の女のあまりの美しさに、抗う心も次第に弱まっていった。


 それからというもの、女は幾度も男の前に現れた。
昼夜を問わず、梅の香とともに現れ、しっとりとした声で囁く。



 「通りゃんせ、通りゃんせ、ここは冥府の細道じゃ」



 その声は夢幻のごとく、甘やかに響き、男の魂を徐々に冥府へと誘う。
しかし男の中にある微かな意識が、かろうじて彼を現世へ繋ぎとめていた。



 ある日、男は古びた箪笥の奥から、一枚の写真を見つけた。
そこには白無垢姿の女が写っていた。
それは男を冥府へといざなうその鬼そのものであったが
瞳には確かに人の情が宿っていた。



写真の裏には、一通の手紙が添えられていた。
 震える手で封を解くと、そこには繊細な筆跡でこう記されていた。


 —— 私のことは忘れて これからも生きてください。
   ただ、1年に一度梅の花を見たときには 
    少しだけ、ほんの少しだけ思い出してください ——



 男はその瞬間、記憶の奔流に呑まれた。




 九年余り前、男はひとりの女とともに過ごしていた。
互いの名を呼びあい、共に笑い、共に涙し、たくさんの記憶と共に
けれど、その女は病に蝕まれ、静かに命を終えたのだった。
悲しみを拒み、感情を手放したその時から、
彼は何も感じぬまま、ただ生きるだけの存在となっていたのだ。

鬼の伝説とは妻や子といった大切な人たちを亡くした人たちが
作り出す幻影の姿。




 それからというもの、彼は記憶を少しずつ取り戻し、
感情もまた、ゆるやかに甦っていった。

梅の香が漂うたびに、彼はふと足を止める。
胸の奥には、微かな痛みとともに、名もなき温もりも残っていた。


ただ、今では聞こえなくなった鬼の歌声が愛おしくもあった。


「通りゃんせ、通りゃんせ」