「灰とダイヤモンド」の歌詞の世界観 | るーじん の 楽しい日記 

るーじん の 楽しい日記 

趣味でボーカロイド楽曲などを製作しています。
自作ボカロ曲、地下アイドル、AIイラスト、
日々感じたことなど自由に書いてます。

さて、る ーじん 新曲の「灰とダイヤモンド」
 

まずタイトルが重いのかしらね…

幸せな祝日に聞く曲ではないね。

ただ、やや「明転」の曲ではあるんですが

読み取れますでしょうか?

 

 

絶望の中にもある光

 

 

それがテーマです。

 



わかる人はわかると思いますが

 

 「灰とダイヤモンド」という古い映画が下敷き。


さらにもとをたどれば「灰とダイヤモンド」の自体は
 

元々は19世紀ポーランドの詩人、
 

ツィプリアン・カミル・ノルビッドの詩からのもの

 

    *最後に転記しておきます。
 

 

映画は民主化運動(戦争)の中でのお話し。


主人公はゴミ捨て場の中で最期を迎えますが
 

その後ポーランドは民主化という結果になっています。
 

単に「月とすっぽん」みたいな言葉ではありません。。



歌詞が実体験?と昔から聞かれますが

私の歌詞のつくり方は

 

何か一つの些細な情景を中心に展開させます。

 

今回はイラストの情景からのもの。

 

(ただ出てくる言葉は今の私からなのは間違いなく

 気づくと・・・ねぇ。)

 


淡々とした絵の中にも

 

その背景と、どんな感情があるのかに対して

 

一つずつ丁寧に言葉を紡ぎます。


別に特に自分を詩人であるとは思っていませんが

この詩を書く直前に、どなたの物とは言いませんが、
ブログ上でとんでもなく薄い詩をみたんです。
反動で強めにシリアス傾向に

寄ってしまったかもしれません。

その詩は高ランカーの方なので

(特にまだ再生数が弱小な)私の方が

センスがないなら、それでいいです。

価値観や感性の違い。

 


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

灰とダイヤモンド 


窓際積もる雪が季節を知らす

部屋の中でも息は白く

ここから見える街はいつから高く

同じになったこの髪


この身を燃やし焦がしても
灰になっても
あなたに残る想い

私がもしも鳥であっても

灰にまみれ空を飛ぶことも許されない

あなたがもしも星であっても
雲にかくれ光見ることも許されない
この夜に

想いがもしも叶わなくても
燃えた後に光を見つけた、傷ついても

あなたがもしももういなくても
灰の中で見つけ出したのは輝く日々、

この笑顔

でも今もいつも心にいる
それはなぜ?
 

あなたがもしも…

私は今も…

==========================================

 

(解説)

主人公は女性。

 

外に出ることなく、窓際の雪や

高くなっていく建物でしか

季節の変化や長い時の変化すら感じられません。

一度、思いを断ち切るように切った髪も

その頃と同じ長さになってしまっています。

 

その身を焦がし灰になっても

そこに残る想い

その灰のせいで身動きが取れない。

そこには星のような存在になってしまった

その愛した人からの光はもう届きません。

 

 

ただ、その灰の奥底であるものを見つけます。

 「輝く日々、この笑顔」というダイヤモンド

 

輝く日々というのはどんな日々で

それは過去なのか、未来なのか

 「この」笑顔というのは彼女自身のものです。

なぜ笑っているのでしょうか。

 

・・・ご想像にお任せします。

  受け取っていただいた方の感性です。

 

愛した人は心に居続ける

彼女の意思ではありません。

彼女は理由を問いかけます。

 

ただ、彼女は笑っています。

安心してください。

そのダイヤモンドを胸に

部屋から出る日は近いはずです。

大丈夫です。


再生、高評価、チャンネル登録・・・

===========================================

ツィプリアン・カミル・ノルビッド 「舞台裏にて」


松明のごとく汝の身より、火花の飛び散るとき
汝、知らずや

わが身をこがしつつ、自由の身となれるを

持てるものは、失われるべきさだめにあるを

残るは、ただ、灰とダイヤモンドのごとく
深淵に落ちゆく、混迷の身なるを

永遠の勝利のあかつきに、灰の底ふかく

さんぜんたるダイヤモンドの、残らんことを