「#この岩波少年文庫がすごい総選挙」というハッシュタグが盛り上がっている | 作家・土居豊の批評 その他の文章

「#この岩波少年文庫がすごい総選挙」というハッシュタグが盛り上がっている

「#この岩波少年文庫がすごい総選挙」というハッシュタグが盛り上がっている

 

私も、こどもの頃から岩波の児童文学を読んで育ってきた。

そこで、「この岩波少年文庫がすごい総選挙」に投票したい。

 

まずは、

アーサー・ランサム『ツバメ号とアマゾン号』が一推しだ。

近年完結した新全集版は解説が充実していて、様々なランサマイトのお話を読めるのが楽しい。

なんとなく記憶しているのだが、40年ぐらい昔には、本作だけが岩波少年文庫に入っていた。読み比べたことがあるのだが、岩波書店ハードカバー版とは、訳が微妙に違っていた。あれはなぜだったのか、こども心に不思議だった。

 

次に、

あまり挙がってないようなので、ドラ・ド・ヨング『あらしの前』『あらしのあと』を、ぜひ推したい。子どもの頃、戦争の惨さが初めてわかった物語。ヤンが、まさか亡くなってしまうなんて!

 

3番目に、

岩波少年文庫にぜひ入れてほしいシリーズは、フィリップ・ターナーのダーンリィ・ミルズ三部作。『シェパートン大佐の時計』『ハイ・フォースの地主屋敷』『シーペリル号の冒険』。特に「シーペリル」は、思春期男子にグサグサ刺さるはず。英国の学校で盛んなスポーツ、クリケットの試合の話が、まるで高校野球マンガみたいに面白いのだ。

 

ところで、

岩波少年文庫を買うようになったのは、岩波の児童文学のハードカバーを集めていた小学生時代より後のことだ。

今、自宅にあるものは少ないのだが、写真(1)の『カッレくんの冒険』は1980年刊行版。カッレものの他の2作はハードカバーで持っていたのに、中学生の頃、なぜこれだけ文庫で買ったか、思い出せない。おそらく、田舎町の書店にカッレくんの冒険だけ在庫がなかったからか。

 

写真(1)

 

 

写真(2)のドリトル先生シリーズの岩波少年文庫は古くからあるが、手元にあるのはカバーがついたこのバージョン。ドリトル先生は、人権的に今となっては新訳が望みにくい事情があるから、井伏鱒二訳を大切に読み続けたい。

 

写真(2)

 

 

 

ドリトル先生の愛読者だったから、映画化されたドリトル先生に、子どもの頃、ガッカリした思い出がある。だが、レックス・ハリソンのあの映画『ドリトル先生不思議な旅』は、のちのエディ・マーフィのに比べると、よっぽどうまく作ってある。あの『ドクタードリトル』は本当にひどかった。

ちなみに、ドリトル先生の月三部作は、いまや科学的にはファンタジーになったが、あの3作はドリトルシリーズの頂点だと思う。文明批評SFの古典に位置付けられる。オーソが我を捨ててドリトルを帰す決断をする場面は、涙なくしては読めない。

 

児童文学の映画化といえば、ランサム・サガの映画化はいくつかあるようだが、最近の英国B B Cの映画化は、フリント船長の改変があまりに根本的変更すぎて賛否両論だろう。

だが、私は子どもの頃からずっと考えてきたのだが、ランサム・サガこそアニメにしてほしい。

ランサム・サガのアニメ化、私は子どもの頃から最近にいたるまでずっと、勝手に設定を考えてアニメ化原案を作ったりしている。どこか、話に乗ってくれたらいいな。単独の映画化なら、やはり『海にでるつもりじゃなかった』がいい。最高の心理劇であり、サスペンスであり、冒険ものとして完璧だと思う。

 

ランサム・サガの中で、いくつか選んでみたい。

『六人の探偵たち』は、ミステリーの古典としても必読。ドロシアの名探偵ぶりは、本大好き少女が現実世界で主役になれるお話の中でベストだと思う。クライマックスの、ファーランドさんとの対決は、司法ものとしても見事な迫力。大人になってから読むと、偏見の怖さを思い知る。

ランサムの場合、男児と女児の役割分けが明確だけど時代を考えるとかなり進歩的だった。何よりナンシィの存在が大きい。彼女が作品世界を支配している限り、女児が従属的だとは言えない。

ランサム・サガは、ナンシィがいて初めて成り立つ物語が多い。ナンシィの存在感が際立つ場面は多々ある。

『ツバメ号とアマゾン号』で、ジョンを侮辱したフリント船長を許さず黒丸を突きつける場面。

『長い冬休み』で、遭難したと思われたDたちのところへ一人でたどり着く場面。

『ツバメ号の伝書バト』で、敵のティモシィを火事から助けてあげる場面。

『ひみつの海』で、最終日の朝、残りの探検を仕上げてあげる場面。

『女海賊の島』で、ミス・リーに果敢に言い返す場面や、クライマックスで、ミス・リーを英国に誘う場面。

『スカラブ号の夏休み』で、遭難したと思われた大おばさんを救援に行く場面。

『シロクマ号となぞの鳥』で、マクギンティと堂々と渡り合う場面。

ナンシィがいなければ、ランサムサガはあれほど躍動感ある物語にならなかっただろうと思う。

 

小学生の頃、70年代後半に児童文学に目覚めた私にとって岩波少年文庫は、ハードカバー版を図書館で繰り返し読み、どうしても手元に置きたい作品を買うためのものだった。あの当時、ランサムやドリトルは文庫に一部しか入ってなかったはずで、ほしい作品のハードカバーを、お年玉や誕生日プレゼントで一冊ずつ手に入れた。小学生の時には、ハードカバーの方が作品に入り込みやすい気がした。文庫には挿絵が全部入ってなかったり、絵のサイズが小さいのも原因だっただろう。

岩波少年文庫版のありがたみは、むしろ大人になってから実感した。何しろ安く、サイズ的にも数を揃えやすい。さすがにハードカバー版は本棚を占領しすぎるので、実家に置いたままが多い。

さらに、近年の新訳刊行は実にありがたい。人権配慮による旧訳との違いも、時代性の差が興味深いからだ。

昨今の情勢でどうなるかわからないが、旧訳のハードカバーも絶版にはしないでほしい。ドリトルの、黒人王子バンポの顔とか、ランサムの「土人」という表現とか、かつて一般的に使われたイメージは、資料的にも価値があるはずだ。

ちなみにバンポはアフリカの王国の王子で、英国の大学留学中のインテリなのだ。ドリトルシリーズ、バンポがいないと、かなりのストーリーが成り立たなくなるはずだ。いざという時、勇敢に先生を守るバンポはかっこよかった。

人権配慮を厳しくすると、ランサム 『女海賊の島』もかなり難しくなってしまうかもしれない。だが、時代の違いというものなので、読める状態が続いてほしい。

 

最後に、

児童文学愛読者の政治家たちに言いたい。日本の子どもたちは、昔から夏休みを忙しくされすぎていた。ランサム作品の夏休み、リンドグレーン作品の夏休みを、日本人の子どもとしてはどんなに羨んだか。もう21世紀なのだから、教育の理想を児童文学から考えてほしい。

もちろん国情も時代も違う。だが子どもが育つ環境を整えていくのは政治家の責任だ。子ども時代の理想的なあり方を、政治哲学として考え直してほしい。子どもをがんじがらめにしてきた結果が、現在の日本の国民性を作ってきたのは間違いない。ブラック労働も、人権無視も滅私奉公も、子ども時代から始まっているのだ。

 

(追加)

ランサム ・サガの聖地巡礼

 

『ツバメ号とアマゾン号』が好きすぎて、聖地巡礼してしまった私。英国湖水地方のウィンダミア湖とコニストン湖。

写真は、ボウネス・オン・ウィンダミア(作中ではリオ)。

 

 

近くの蒸気船博物館にあるフリント船長の屋形船(のモデル)。

 

 

コニストン湖のヤマネコ島。

 

 

私の場合は、ロンドンから旅行会社のオプショナルツアーで3日間、ウィンダミア湖とコニストン湖を堪能しました。

今から20年近く前ですが、ロンドンから湖水地方へは電車か車で行くしかないので、結構時間がかかりました。宿はB&Bで、滞在中はとにかくランサムサガの聖地を走り回ってました。バスでコニストンまで行き、手漕ぎボートを借りて湖上を漕ぎまわり、遊覧船で「ヤマネコ島」の周囲を回れました。

ヨットの操縦が出来たら、自分でヨットを借りて、ヤマネコ島まで航海出来たのですが。

ウィンダミア湖では、北極の「町」から遊覧船で「リオ」=ボウネス・オン・ウィンダミアまで行き、「リオ湾」の景色を堪能。近くの「フリント船長の屋形船」のモデルも見にいけましたし、そこにはアマゾン号も保存されてました。

 

 

※(報告)西宮市立鳴尾図書館講座『涼宮ハルヒ』とアーサー・ランサム&仮説「涼宮ハルヒと、ナンシイ・ブラケット」書籍化企画の発表

 

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12442428260.html

 

昨日は西宮市立鳴尾図書館で講座をやりました。テーマは、『涼宮ハルヒ』とアーサー・ランサム。まるで私の著書『ハルキとハルヒ』のようにまたこじつけか?と、批判したくなるテーマに思えるかもしれませんが、そんなことはありません!

講座にご参加の方々からも、私の仮説に賛同をいただきました。

その仮説とは?

「涼宮ハルヒと、ナンシイ・ブラケット」

これが私の仮説です。

このタイトル、わかる人には、わかるはずだと思います。

この二人、なぜかよく似ているのです。

20世紀初頭の英国作家ランサムと、21世紀の日本のラノベ作家谷川流、この両者にはもちろん、何もつながりはないはずです。

なのに、ハルヒとナンシイは、時代も国もジャンルも違うのに実に似ているのです。

 

「涼宮ハルヒと、ナンシイ・ブラケット」、この仮説のさわりを昨日、鳴尾図書館講座でお話して、数名からご賛同いただけたことで、この仮説を本にまとめる自信が出ました。

英国児童文学のヒロインと、ラノベのヒロインがなぜこんなに似てるのか? その謎を推理し、この仮説から子供の読書啓蒙へと繋げようと思います。

「涼宮ハルヒと、ナンシイ・ブラケット」という仮説を本にまとめます。

ご興味ある版元さん、編集さん、学者の方々、図書館関係、国語の先生、ぜひ、お声かけください。

日本の児童文学研究とラノベ研究、図書館活動、読書啓蒙を繋げる、これまでなかった試みを、ぜひ支援いただきたく、お願い申し上げます。

 

 

※(告知)土居豊が【人文死生学研究会番外編「涼宮ハルヒ」】でレクチャー発表します

 

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12490255185.html

 

(告知)以下の研究会にてレクチャー発表をします!

「涼宮ハルヒ」ファンの方々、またご興味ある方々、児童文学とラノベに関心のあるみなさま、ぜひご来場くださいませ!

 

◆人文死生学研究会番外編「涼宮ハルヒ」

 

日時:2019年8 月4日(日) 午後1時~5時

 

場所:西宮市夙川公民館第2会議室

阪急電車「夙川」駅から、南へ徒歩3分程度。JR「さくら夙川」駅または、阪神電車「香櫨園」駅から、夙川に沿って北へ徒歩10分程度。

 

【趣旨】2018年2月の『エンドレスエイトの驚愕』(三浦俊彦、春秋社)出版。2018年10月の『涼宮ハルヒシリーズ』7年ぶり新作発表(『ザ・スニーカーLegend』)。そして、2019年2月からの『涼宮ハルヒシリーズ』角川文庫新装版発刊。これらを記念して表記の研究会を、「聖地」西宮市で決行します。オタク時代にふさわしい死生観の構築をめざします。

 

【話題提供1】土居豊(作家/文芸ソムリエ)「涼宮ハルヒとランサム・サガ  ー ライトノベルと児童文学の遠くて近い関係 」

 

【話題提供2】渡辺恒夫(東邦大学/心理学・現象学)「二次創作がひらくオタク時代の死生観 ー 長門有希とは誰のことか」

ーーーーー休憩-----

 

【話題提供3】三浦俊彦(東京大学文学部/分析美学)「涼宮ハルヒ、人間原理、バートランド・ラッセル」 

 

--------フロアを含む全体討論ーーーーー

・その他、詳細は、決まり次第、掲載します。

・参加無料。事前登録不要。

 

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人文死生学研究会  

https://sites.google.com/view/thanatologyashumanities/

 

世話人

三浦俊彦(代表)東京大学文学部(美学/分析哲学)

 

渡辺恒夫(サイト責任者)  東邦大学(心理学/現象学) 

 

蛭川立  明治大学情報コミュニケーション学科(人類学)

 

新山喜嗣  秋田大学医学部(精神医学)

 

浦田悠  大阪大学(死生心理学)

 

重久俊夫 (事務局)著述家/教育職(思想史)