年内にバイロイト音楽祭「ニーベルングの指環」について、ご挨拶記事をupしました。

バイロイト音楽祭「ニーベルングの指環」2023(1)_インキネン登場 | めぐみさんが帰ってくるまで頑張らなくちゃ (ameblo.jp)

 

 新発売のCDがなかなか出てこなくなったので、近年の指揮者の音楽づくりは実演で聴くか、海外放送局提供のFM音源に頼ることになっています。

 「ニーベルングの指環」のバイブルというと、僕世代の人間はショルティ_ウィーン・フィル盤ですが、当時の情報が多く出るに素晴らしい音ではあるのですがどうしても「つぎはぎ感」が否めないです。

 若い頃は音のキズ(奏者のミス)に対する嫌悪感があったのでライブ盤CDに対して抵抗感がありました。特にマーラーなどの大曲については音の合間に出る聴衆の咳ばらいすら気分が滅入りました。

 その中で唯一許せたのが、エミール・ギレリスとメータがカーネギーホールでニューヨーク・フィルをバックにして演奏したチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番です。この録音は第3楽章(最終章)最後、音が完全に終わる前に拍手が入っており、当然本来の僕的にはアウトなのですが、とにかく中身がツヤツヤで鋼鉄に満ち素晴らしい演奏なので受け入れられています。

 

 ここ10年海賊盤まがいのCD(もともとCDにしていなかった放送局録音のものが出来がいいのと出演者の契約がうまくいって成立したもの)を聴きだすと、多少のミスは気にならなくなり、それよりも音の連続性と緊張感の存在に肯定するようになりました。録音でつまらなくてもライブは素晴らしいものが結構出ています。

 カラヤンによるマーラーの9番やリヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲は音だけでなく緊張感まで体感できます。

 

 『指環』のバイロイト録音(CDに限らず)もモノラルまで遡ればクナパーツブッシュ(ここはあえてクラウス、カイルベルト、フルトヴェングラーは置いといて)に始まり、ベーム、ブーレーズ、レヴァイン、バレンボイム、直近ではティーレマン、ヤノフスキとそれぞれの時代のエースの演奏が聴けます。

 バイロイトでワーグナーを複数年振ればワーグナー指揮者の称号が得られますが、さらに「ニーベルングの指環」か「パルジファル」を振れば核心的存在に至ります。

 

 このうち僕が好きな録音はブーレーズとレヴァインです。

 ブーレーズは一般にはオペラ指揮者ではないのでしょうけど、マーラーやシェーンベルクなどの声楽付きの大規模な曲だけでなくワーグナーもしっかり説得力のある音楽を再現します。

 レヴァインはゆったりとしたテンポで朗々と音楽を展開してくれています。またオペラ指揮者だけあって聞かせどころをきちんと聴衆に示してくれます。

 

 今回演奏を聴くに当たり、新国立劇場合唱団の指揮者である三澤洋史さんの解説は大変に助かりました。

 聴いていた音楽において疑問のあったところのいくつかをたまたま指摘してくれたのですが、FMで聴いている側が、ここはポイントになるだろうと先取りされたことに驚いています。

 

 三澤さんは、新国立歌劇場の開演前30分から1時間頃奥の扉からジーンズ姿でリュックを背負って入場される姿をちょくちょくお見掛けします。

 御自分の意見だけでなく、いろんなメディアの解説もあわせて提供いただき今回のインキネンのスタンスをよくわかるように説明いただきました。

 

 ジークフリートが終わったところでなんで会場からブーイングがかけられたのかも淡々と語られていました。

 ジークフリートの最終幕はワグネリアンの中でいつも話題になる、「元気満々のブリュンヒルデ、精魂尽き果たしたジークフリートの悲しい戦い(声量において)」が繰り広げられるのは有名でしたが、このときの両歌手のやりとりまで解説していただき、年末に何度か聴きなおしました。

 

 インキネンが歌手に寄り添わず指揮していたこともよくわかりました。

 カラヤンも歌手に音を付けるのではなく、自分の音楽に歌手を楽器のようにはめ込む演奏をしていましたが、今回小カラヤン的音作りをしていたのがよくわかりました。

 ただ、第2幕の壮大な男声合唱の音作りは残念ながら僕の好きな解釈ではなかったです。非常にかったるくて緩い感じになっていました。ワルキューレの最終部分も何度聞いても緩いです。もっとガシガシ来る音をして欲しかったなと個人的には思いました。

 

 来年はどんな音作りになるか楽しみにしたいと思います。