それでちょうどいいのよ
内海 桂子(うつみ・けいこ)氏
[漫才協会名誉会長、女優]
私は自分でお金を稼いできました。学問なし、
師匠なし。世間様のこと、芸のこと、お金の
こと、すべて見よう見まねで勉強してきました。
人が失敗すれば、気をつける。人がうまくいけば、
より良いものをと工夫する。私、怒られるのが
大嫌いだったから、周りを見てきたんです。
このやり方、漫才という芸には合っていたみたい。
漫才はその場で噺を作っていく芸です。地球と同じ
スピードで歩いて、その時、その土地のネタを
拾わないと面白くないんです。
あと、漫才の特徴は掛け合いね。
これまで10人以上と漫才をしてきたけど、一番
長かったのが(内海)好江ちゃん。彼女とコンビを
組んだのは、終戦から5年たった1950年。私が
28歳の時です。本当は別の相手と姉妹漫才をする
つもりだったんだけど、それがダメになり、仲介
してくれた人が連れてきたのが、当時14歳のあの子。
三味線は弾けない。踊りもダメ。着物も自分では
着られなかった。
私には夫も子供もいた。こんな若い子と一緒にやって
家族を養っていけるかしら…。
彼女が61歳で亡くなるまで、48年間もコンビが続いた
んだから、相性は良かったんでしょう。ただ、彼女も
個人の仕事が入るようになってから、ギクシャクした
のも事実。
そんなある日、マセキ芸能社の社長とリーガル万吉
師匠が“時の氏神様”になってくれ、仲を取り持って
くれたんです。そこで「コンビ永続法」を教えてもらい
ました。その中に「相手の立場でまず動く」という
言葉がありました。相手のことを見て配慮して、先回り
して動いてあげる…。確かに、それぐらいでちょうど
いいのよ。
(2013.12.23号から)
最近読んだ本の中に次のような個所がありました。
「“間”を制するものはお笑いを制する」というものです。
<何かモノやコトがあって、そのモノとモノの間、コトと
コトの間が“間”なわけだけど、それは目に見えるもの
ではない。身につけられるものかどうか、教わることが
できるものなのかどうか……、考えれば考えるほど
わからなくなる。
特においらのような芸人にとって、“間”というものは
死活的に重要で、逃れることができないもの。
漫才でもコントでもテレビのフリートークでも、“間”を
外したら一発で台無し。>
(『間抜けの構造』ビートたけし 新潮新書 P.4)
さらに、このようにも書いています。
<「間抜けはお笑いにとって勲章である」と言ったけど、
漫才や落語となると、ただアホ面下げて間抜けなことを
しているだけで成立するかといったら、この世界はそん
なに甘くない。
お笑いを制するには、“間”を制すること――。
それだけ笑いにとって“間”というものは重要なんだ。>
(上掲書 P.43)
内海さんが話していた、「先回りして動いてあげる」という
のも、たけしさんが話していた「間」と関係しているのでは
ないでしょうか。
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