自動車を開発する際、安全性に関する性能は、欧州連合のECE基準と保安基準については、監査団が見ている前で試験して、その結果が基準に適合している事を監査団に説明し、認証してもらうことが必要です。
そこでいずれ必要になると思い、東京の某翻訳学院に「技術英語」を学ぶために週一、2年ほど通わせてもらった事がありました。
生徒のほとんどが女性、私以外は全員英文科卒か在学中の学生さん。英語力は負けるけど、「扱うのは技術だ!」との支えで頑張れたのでした。
当時は機械翻訳が出始めた頃でしたが、そのままでは全く使い物にならないレベルでした。
そして将来、如何にソフトが進化しても、必ず翻訳者によるチェックが必要であり、翻訳の職業が不要となることはない。
今翻訳の勉強をすることは絶対無駄にはならない、などと話し合っていたものです。30年以上も前の話です。
しかし、ここ4、5年のコンピューターの速度とメモリの集積技術が飛躍的に向上したこともあって、翻訳ソフトの進化にはめざましいものがあります。
フリーで使える「google翻訳」は操作性も良く、翻訳内容が微妙に違ういくつかの文章から選べるようにもなっています。
昔は翻訳ソフトは単語の意味を知るのに重宝!の位置づけでしたが、今のレベルは90%以上問題なし、と言えそうです。(私のレベルでは・・)
日本語はもともと英語などと比べると実に曖昧な言語らしいですね。
主語が省略されていたり、比喩や引用などは翻訳しにくい上に丁寧語、謙譲語、いくつもの呼び方、文法の違い、表意文字(漢字)と表音文字(ひらがな・カタカナ)、物の数え方、などなど日本語特有の煩雑さは他の言語の比ではないのでしょう。
翻訳ソフトの開発者には本当に敬意を表します。
よく引き合いに出される「光陰矢の如し」、
Time flies like an arrow.
今では「時間は矢のように飛ぶ」、とそのままの素直な表現ですが、昔は、
・時蝿は矢が好きです。
・矢のような時蝿。
・矢を好む時蝿。
と訳されたとか、されなかったとか・・・。