流鏑馬(やぶさめ)を見る  | 長谷川隆のブログ 

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 Hase Aerodynamics Labo

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 昨日、立川で行われた流鏑馬を見て来ました。

 正月などに、テレビや新聞で見るだけで直に見るのは初めてでした。

 「小笠原流」とのこと、調べたら、他に「武田流」という流派があるということです。

 

 約800年以上前、平安中期から伝わる日本の伝統文化を目の当たりにして、実に感慨深いものを感じました。

 

 というのは、中国の話になってしまうのですが、通訳さんが何度も言っていたことを思い出したからです。

 「中国は昔の文化を大事にしない。その点、日本は昔の文化をしっかり伝承しているのが羨ましい。」、ということでした。

 

 中国は800年程前は蒙古民族に征服されて「元」に、そして400年程前には満族に征服されて「清」となっています。

 三国志からもわかるのですが、征服された街では建物がことごとく破壊され、負けた側のリーダー達は一族郎党根絶やしにされ、文化までも否定されたとのことでした。

 

 清となった時は、漢族の男性全てに、満族の象徴である辮髪(べんぱつ)を強いられました。一時期キョンシーの映画が流行りましたが、あれは満族の姿・格好なのであり、中国本来の伝統ではなかったと言うことなのです。

 つまり、4千年の歴史というけれども、連綿と漢民族の文化が続いて来たのではなく、その都度異文化に塗り替えられて来たのです。

 

 日本は島国であったこともあり、そして大陸からの文化の影響を強く受けながらも、単一民族の文化が連綿と続いて、各国とは大きく異なる独特な文化が醸成(いい言葉が見つからない)されて来たわけです。

 我々はこの日本の文化をしっかり後世に伝えて行かなければならないと強く感じるのですが、さて具体的に何をする?ということになると、全く無力な自分に気付きます。

 

 せめて、このような日本の伝統行事に接し、愛でることでお役に立てれば、と願うものです。

 

 流鏑馬を見てただ一つ残念だったのは、あの伝統的な装束でトランシーバーを使っていたことかな。笑。

 

 それにしても立川駅付近はまるで未来都市の様相を呈しています。モノレールがまたその雰囲気を増幅しているのですが、まるで映画の1シーンの中を歩いているような気分でした。