中国三大奇書として、「水滸伝」、「三国志演義」、「西遊記」が挙げられます。
「金瓶梅」を加えて四大奇書とも。(奇書:「世に稀なほど卓越した書物」from Wikipedia)
中国常駐となり、時間は十分あるから本でも読もうと「三国志」の文庫本を持って行ったのが始まりでした。すぐ虜になって続編を送ってもらい、読みふけりました。
吉川英治と北方謙三の「三国志」を3回づつ読みました。そこで、私が触れた「中国」から感じたことを書いてみたいと思います。
日本では「歴史上の人物」と言えば、誰もがまず「戦国時代」の武将の名前を挙げることが多いですね。
約500年前のこと。1467年に発生した応仁の乱から、豊臣秀吉が北条氏を滅ぼし、伊達政宗を服従させて全国統一を成し遂げた1590年までを「戦国時代」とすれば、僅か123年間の短い期間に、歴史上に名を残す超有名人たちがひしめいていたことになります。
一方中国では、中国人の誰もが知っている歴史上の人物として、まず「三国時代」の武将の名前が挙がるのです。
それも今から約1800年も前のこと。黄巾の乱勃発の184年から、西晋による中国再統一の280年までの、僅か96年間の「三国時代」が、中国の悠久の歴史の中でキラリとひときわ光り輝いているのは、奇跡というか実に不思議なことだと思います。
よくレストランやホテルのロビーの一角に、日本の仏壇のような祠に祀られているのが、劉備に仕えたヒゲの関羽です。
武神、財神として今でも、特に商売の神様として崇められているのです。三国志では準主役というところでしょうか。
横浜中華街に、関羽が祀られた立派な関帝廟があるとのことです。
諸葛亮(孔明)は、やはり中国人なら誰でも知っているスーパースター、天才軍師。羽根のうちわがトレードマークですね。
私は、呉の水軍の創始者、周瑜のファン。合肥の70km南に周瑜の墓がありました。(乞う地図拡大)
左上が合肥市。巣湖は呉の水軍の練習にも使われたし、魏との戦場にもなった大きな湖です。
右の灰色にうねる長江(揚子江)と幅200m程の川(半分ほどは運河)で繋がっています。google map で見ると今でも多くの船が行き来しているのがわかります。
私が5年間滞在した合肥市は、吉川英治の小説では「がっぴ」と読ませていました。中国語読みでは「フゥーフェイ」。魏と呉が要衝地として最後まで争奪戦を繰り広げた歴史に残る古い街です。
下の地図で、街の中心部(右下)が合肥城跡、四角い広大な堀に囲まれているのがわかります。
左上には、「呉」の水軍の利を嫌った「魏」が築いた、新合肥城の跡地が残っていて今では観光地になっています(緑色丸印)。兵法の練習場所や、製鉄の跡地などが残っていました。
当時の武将や、兵士、農民の子孫たちの息吹を感じるこの大地で、大きな夕日に驚き、武将を乗せた馬が駆け回ったであろう当時の原野を想像しながら「三国志」を読む。
それがいかに贅沢なことであるかを噛み締めたものでした。
コーヒーを片手に、まさに至福のひと時でした。