0324
町指定文化財
聖橋(ひじりばし)
熊本県上益城郡山都町野尻
笹原川に架かる石橋
橋長:35.00m
橋幅:5.00m
径間:12.00m
拱矢:8.20m
架橋:1832年(天保3年)
一部解体:1937年(昭和12年)
修復:1999年(平成11年)
石工:岩永 三五郎 氏
型式:単眼アーチ橋
山都町の中心、矢部地区浜町をぬけ、国道218号線を清和地区方面へ向かうと、「聖橋交差点」の手前に近代的な橋がありますが、そのすぐ脇にあ聖橋(ひじりばし、矢部町指定文化財)があります。聖橋は、矢部・清和地区では最古の眼鏡橋で、熊本と宮崎を結ぶ日向往還の橋として、天保3年(1832年)にできました。
橋が架けられたときは男成川目鑑橋(おとこなりかわめがねばし)とよばれていましたが、近くに男成橋が架けられた後に、間違わないように聖橋とよばれるようになりました。橋の長さは35m、幅5m、高12mの立派な橋です。
この橋をつくった石工は、八代郡野津手永の石工、岩永三五郎(いわなが さんごろう)です。岩永三五郎は種山石工(現 八代市東陽町)の祖とされる藤原林七の弟子で、干拓堤防築造、用水路造成、眼鏡橋架橋などに石工として素晴らしい技術を発揮した人物です。その業績から岩永という姓を名乗ることを熊本藩から許されています。
岩永三五郎はこのような石工としての技量の高さから、技術者として脂が乗り切った壮年時代に熊本藩から薩摩藩へ派遣されることになります。このため、岩永三五郎が架橋したとされる代表的な眼鏡橋は西田橋をはじめとして、その多くが鹿児島県内にあり、熊本県内には実は多く残っていません。この数少ない三五郎の眼鏡橋の一つが聖橋で、その姿から三五郎の技量と橋に懸ける思いを感じることができるような気がします。
(※熊本県上益城地域振興局 編・発行 『緑川流域 石橋虎の巻』2005年)
訪問日:2014年7月12日(土曜日)
聖橋
聖橋
聖橋
一部が取り壊され50数年そのままの状態で放置されていた事と、一度は
崩しかけた橋で修復も仮であるため使用するには強度が不十分と思われます。
そのため、現在は入り口をガードレールで遮り渡れないようになっています。
聖橋
聖橋
聖橋
聖橋
日向往環の要所として天保三年(1832年)五月、石工棟梁
八代郡野津手永岩永三五郎によって矢部手永で最初に架けられた
目鑑橋。渡十一間(径間二十メートル)留二間(幅三.六メートル)
昭和十二年に一部取り壊されものの平成十一年七月に修復。
(※案内標柱より)
聖橋
聖橋
聖橋
聖橋
聖橋
聖橋 案内看板
聖橋 親柱
聖橋 親柱
聖橋 親柱
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聖橋