【22年5月8日探索・11月15日公開】
現在地はこの辺
この先の岩場、ちょうど観音埼灯台の下という位置が怪しい。
この地層の塊もそうなのかもしれない。
地層の塊は縦方向に落ちている部分もあった。
これが2代目観音崎灯台の一部(基礎部分?)で間違いないだろう。初代の観音埼灯台(明治2年使用開始)は大正11年4月の地震により、レンガ造りの灯台に亀裂が生じ危険になり、大正12年3月15日に鉄筋コンクリート製の2代目灯台が完成した。それが半年後の関東大震災により灯台は北方へ5度傾斜し、官舎及び付属舎は半壊したという。応急的には使用したようだが、大正14年6月に現在も使用されている3台目灯台が完成した。
つまりは、大震災で崩壊した訳ではなく、撤去する際に地層の塊もそうだがここに放置されたものであると推定できる。
これも灯台関連の遺構か?
海沿いの遊歩道に戻った。ここで下を見ると・・・
なあんだ。遊歩道からもよく見えるじゃん。説明板とか設置した方がいいのでは?
2枚上の画像で200m位先の方に見えた構造物をズームアップした。これが観音崎水中聴測所跡、戦時中に敵の潜水艦を音により探知した施設の跡になる。自衛隊敷地内になるので、ズームアップでしか見られない。
思えばこの石畳舗装も戦時中からあるモノなのでは?それはそうと、カーブの先にあるのは間違いなく隧道だ。
隧道手前、これは何だった場所なのだろう?
隧道は素掘りだった。味があるなあ。
(その3へつづく)